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都鄙問答 / 卷之一・都鄙問答ノ段

曰、彼學者ノ云ル而已ニ非、其座ニ禪僧居ラレケルガ、此僧ノ云ヘルハ、拙僧モ自性ヲ見タシト思ヒ、十五年程坐禪致トイヘドモ、今ニ此ゾト見性セズ、見性スレバ、飛揚ホド嬉コト有ト聞、然ニ心易知ラルヽト云ハ、紛レ者ニ違ハナシトイヘリ、且汝ノ云ヘル如ナレバ、知リ易キコトナリ、我ラ如キハ心ノツカヌコトナレドモ、心ヲ付テ見ルナラバ、春ハ花サキ、秋ハ實、冬ハ藏リ、人ハ人ノ道ヲ行ヒ、夫ニテ知タルコトヲ、毎日々々講釋シ、家業ノ忙キ者ヲ寄聚メ、隙ヲ費シムルハ如何ナルコトゾヤ、且汝ハ故ヲ見テ知ルト云、彼禪僧、十五年ノ間心ヲ盡テモ、性ヲ知リ得ルコト難シト云、然ヲ汝不學ノ身トシテ、知ルコト安シト云、彼此以テ疑ヒ多シ、此訣ハ如何、

新字:曰、彼学者ノ云ル而已ニ非、其座ニ禅僧居ラレケルガ、此僧ノ云ヘルハ、拙僧モ自性ヲ見タシト思ヒ、十五年程坐禅致トイヘドモ、今ニ此ゾト見性セズ、見性スレバ、飛揚ホド嬉コト有ト聞、然ニ心易知ラルヽト云ハ、紛レ者ニ違ハナシトイヘリ、且汝ノ云ヘル如ナレバ、知リ易キコトナリ、我ラ如キハ心ノツカヌコトナレドモ、心ヲ付テ見ルナラバ、春ハ花サキ、秋ハ実、冬ハ蔵リ、人ハ人ノ道ヲ行ヒ、夫ニテ知タルコトヲ、毎日々々講釈シ、家業ノ忙キ者ヲ寄聚メ、隙ヲ費シムルハ如何ナルコトゾヤ、且汝ハ故ヲ見テ知ルト云、彼禅僧、十五年ノ間心ヲ尽テモ、性ヲ知リ得ルコト難シト云、然ヲ汝不学ノ身トシテ、知ルコト安シト云、彼此以テ疑ヒ多シ、此訣ハ如何、

書き下し

曰く、彼の学者の云へるのみに非ず。其の座に禅僧居られけるが、此の僧の云へるは、拙僧も自性を見たしと思ひ、十五年程坐禅致すといへども、今に此ぞと見性せず。見性すれば、飛び揚がるほど嬉しきこと有りと聞く。然るに心易く知らるると云ふは、紛れ者に違ひなしといへり。且つ汝の云へる如くなれば、知り易きことなり。我ら如きは心のつかぬことなれども、心を付けて見るならば、春は花咲き、秋は実り、冬は蔵まり、人は人の道を行ひ、夫にて知りたることを、毎日毎日講釈し、家業の忙しき者を寄せ聚め、隙を費やさしむるは如何なることぞや。且つ汝は故を見て知ると云ふ。彼の禅僧、十五年の間心を尽くしても、性を知り得ること難しと云ふ。然るを汝不学の身として、知ること安しと云ふ。彼此以て疑ひ多し。此の訣は如何。

現代語訳

故郷の者は言いました。「あの学者が言っただけではありません。その席に禅僧がいて、この僧は『拙僧も自分の本性を見たいと思って十五年ほど坐禅をしているが、いまだにこれだと見性できない。見性すれば飛び上がるほど嬉しいと聞く。それをたやすく知られると言うのは、まやかし者に違いない』と言いました。それに、あなたの言うとおりなら、知るのはたやすいことです。私たちは気づかないけれど、気をつけて見れば、春は花が咲き、秋は実り、冬はしまわれ、人は人の道を行う。それで分かることを毎日毎日講釈して、家業に忙しい者を集めて暇を費やさせるのは、どういうことですか。それにあなたは跡を見て知ると言う。あの禅僧は十五年心を尽くしても性を知るのは難しいと言う。それを学問のないあなたが、知るのはたやすいと言う。あれこれ疑わしいことばかりです。このわけはどうなのですか。」

解説

反論の二つ目は禅僧からのものです。十五年坐禅しても見性できないのに、町人の梅岩が性は易しく知れると言うのは紛れ者だ、という批判でした。さらに、春に花が咲き秋に実るような当たり前のことを毎日講釈し、家業に忙しい人を集めて時間を使わせるのはどういうことか、とも問われます。梅岩の講席は受講料を取らず、誰でも自由に聴ける形で開かれていました。その活動そのものが、専門家から見れば素人の思い上がりに映ったわけです。

この章句が説くこと

見性講釈不学

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