都鄙問答 / 卷之三・性理問答ノ段
曰、對シテイフハ汝ナリ、答、我ハ萬物ノ一ナリ、萬物ハ天ヨリ生ルヽ子ナリ、汝萬物ニ對セズシテ、何ニヨツテ心ヲ生ズベキヤ、是萬物ハ心ナル所ナリ、寒來レバ身屈シ、暑來レバ身伸、寒暑ハ直ニ心ナリ、熟シテ工夫アルベシ、
新字:曰、対シテイフハ汝ナリ、答、我ハ万物ノ一ナリ、万物ハ天ヨリ生ルヽ子ナリ、汝万物ニ対セズシテ、何ニヨツテ心ヲ生ズベキヤ、是万物ハ心ナル所ナリ、寒来レバ身屈シ、暑来レバ身伸、寒暑ハ直ニ心ナリ、熟シテ工夫アルベシ、
書き下し
曰く、対していふは汝なり。答、我は万物の一なり。万物は天より生るゝ子なり。汝万物に対せずして、何によつて心を生ずべきや。是万物は心なる所なり。寒来れば身屈し、暑来れば身伸。寒暑は直に心なり。熟して工夫あるべし。
現代語訳
問う人「向かい合って話しているのは、あなたです。」答え。「わたしは万物のうちの一つです。万物は天から生まれた子です。あなたは万物に向き合わずに、何によって心を生じるのでしょう。これが、万物が心であるところです。寒さが来れば体は縮み、暑さが来れば体は伸びる。寒さ暑さは、そのまま心なのです。よく熟して工夫なさい。」
解説
心は自分の内側にだけあるのではなく、向き合う相手や寒さ暑さといった外の万物に応じて生じる。だから万物はそのまま心だ、と梅岩は言います。寒ければ縮み暑ければ伸びる体の反応を「寒暑は直に心なり」と言い切るところに、頭で考える心ではなく、事物に即して動く心を見る梅岩の見方が表れています。相手や状況に応じて自然に動ける心を育てるという発想は、接客や交渉の場で求められる感受性とも重なります。

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本の中身を見るこの章句が説くこと
万物心寒暑工夫感応
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『翁問答』上卷之末主君の臣下をさしつかふはたとへば磁石のはりをすふが如し火はかはけるにつき、水はうるおへるにながるゝことわりなれば、磁石のくろがねならではすはざる如く、主君の心とおなじき人ならではつかひ給はぬものなり、心の暗き主君は、何程よきさぶらいをあつめおきてもそれをばもちひず、只君の心にひとしく暗きくせものばかりをさしつかひ給ふものなり、しかるゆへによきさぶらいその家中にありてもなきに同じ、主君の心あきらかなれば、その心によく叶ひたるよき士ならではさしつかひ給はぬゆへにくせものも欲にふけり悪をはぢて、いつとなくよくなるものなればあしきくせもの其家中にありても、なきに等し、臣下のよきもあしきも国のみだるゝもおさまるも、畢竟主君の心ひとつにあり、まことにこゝろざしあるべき事にて候。
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『驢鞍橋』卷中同録に。古人云く。心は万境に随つて転ず。転ずる処実に能く幽なり。流れに随つて性を認得すれば、喜も無く亦憂も無し。一僧云ふ、随流認得性と云ふは、人我を打つとも、腹たつ道理なし。欲心起るも、他の物を取るへき道理なしと、急度其性を認得する義なりや。師云はく、其義に非す。随流認得性と云ふは、ほしければとり、はれははつたまでよ、如是随流働き、万境に転したか、何ん共なき境界也。是れ凡夫心の沙汰に非す、熟した心の沙汰也。今様の誵訛さへ知りめされすと也。
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『弁名』心志意孟子曰く、「其の心を尽くす者は其の性を知るなり」と。是れ其の心力を尽くして以て之を思ふを謂ふのみ。正に梁恵王の所謂「寡人の国に於けるや、心を尽くすのみ」と同意なり。但だ人思はざるのみ、之を思へば則ち能く性の善を知り、性の善を知れば則ち天道の善に与するを知ると言ふ。孟子の本意、是くの若きに過ぎず。宋儒先王の教法を識らず、故に論語・孟子の字面に就きて、以て学問の方を求め、遂に心を尽くすとは心の量を尽くすと謂ふ。妄なるかな。豈に所謂心の量なる者有らんや。仁斎先生曰く、「四端の心を拡充して其の極に至るを謂ふなり」と。果たして其の言の是ならんか、則ち当に其の性を知る者は其の心を尽くすと曰ふべし。其の言の倒置、豈に強ふるに非ずや。亦た聖人為らんと欲するが故のみ。
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言志四録・言志録 第百九十八条 吾が心は即ち天なり此の心霊昭不昧、衆理具はり、万事出づ。果たして何に従りて之を得たるか。吾が生の前、此の心何処にか放在せし。吾が歿の後、此の心何処にか帰宿せん。果たして生歿有りや、無きや。着想此に到れば、凛凛として自ら惕る。吾が心は即ち天なり。
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言志四録・言志録 第九十七条 心の来処は太虚目を挙ぐれば百物、皆来処有り。軀殻の父母より出づるも、亦来処なり。心に至りては則ち来処何くに在る。余曰く、軀殻は是れ地気の精英、父母に由りて之を聚む。心は則ち天なり。軀殻成りて天寓し、天寓して知覚生じ、天離れて知覚泯ぶ。心の来処は、乃ち太虚是れのみ。
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『洗心洞箚記』卷下・第百一條小程子曰く、一人の心は、即ち天地の心なり。一物の理は、即ち万物の理なり。一日の運は、即ち一歳の運なり、と。吾姚江致良知の教を奉ずと雖も、二程子の説を以て徴と為すなり。而して伊川先生の此の語に於て、賜はる所甚だ少なからず。人如し能く心性を了すれば、則ち理と運も亦た心のみ、別物に非ざるなり。先生分別して之を説くは、童蒙の為のみ。