酔古堂剣掃 / 集醒・俗儒は與に道を言ふべからず
商賈不可與言義,彼溺於利;農工不可與言學,彼偏於業;俗儒不可與言道,彼謬於詞。
新字:商賈不可与言義,彼溺於利;農工不可与言学,彼偏於業;俗儒不可与言道,彼謬於詞。
書き下し
商賈は與に義を言ふべからず、彼利に溺る。農工は與に學を言ふべからず、彼業に偏す。俗儒は與に道を言ふべからず、彼詞に謬る。
現代語訳
商人とは義について語り合ってはいけません。彼らは利益に溺れているからです。農民や職人とは学問について語り合ってはいけません。彼らは自分の生業に偏っているからです。俗な儒者とは道について語り合ってはいけません。彼らは言葉の詮索に迷っているからです。
解説
相手によって語り合えることには限りがあると述べた一則です。商人、農工、俗儒の三者を挙げ、それぞれが何かに偏っているために、ある話題が通じないと言います。職業で人を分ける書き方には、当時の身分観がそのまま表れています。今日読むなら、職業そのものより、利に溺れる心、業に偏る心、言葉にとらわれる心という三つの偏りの話として受け取るのがよいでしょう。とくに最後の俗儒は、学者でありながら字句の解釈にこだわって道の本質を見失う人のことで、学ぶ者自身への厳しい戒めになっています。話が通じないと感じたとき、相手の偏りだけでなく、自分がどの偏りに陥っているかも省みたいものです。
この章句が説くこと
偏見学問名利交友道
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