酔古堂剣掃 / 集醒・玄に叅ずるは以て性を見る
叅玄借以見性,談道借以修真。
新字:参玄借以見性,談道借以修真。
書き下し
玄に叅ずるは借りて以て性を見んとし、道を談ずるは借りて以て眞を修めんとす。
現代語訳
奥深い道理を参究するのは、それを手がかりにして自分の本性を見るためです。道を語り合うのは、それを手がかりにして真の自己を修めるためです。
解説
学問や議論の目的を、手段と目的の区別から述べた対句です。参玄は奥深い道理、とくに老荘や禅の玄妙な教えを探ることです。見性は禅の言葉で自分の本来の性を見ること、修真は道教の言葉で真の自己を磨くことを言います。借はここでは手がかりとして使うという意味です。玄理を論じることも道を語ることも、それ自体が目的ではなく、自分を変えるための道具にすぎないと著者は言います。難しい本を読み、議論を重ねても、自分の生き方が少しも変わらなければ意味がありません。学んだことを自分の内面に引き寄せて使うことを忘れないようにしたいものです。
この章句が説くこと
学問修養見性道禅
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