都鄙問答 / 卷之三・性理問答ノ段
答、否シカラズ、サリナガラ、汝ハイカヤウトモ思ハルベシ、所詮我云所ハ聞ヘマジ、曰、汝ガ思フ所ニ當ルユヘノ返答カヤ、答、左ニハ非ズ、子曰、朽木不可彫也、糞土之牆不可朽ト、汝ガ如ク、我體ヲ見失テ、其ヲ不知者ハ、朽木ニ彫物スル如ク、相手無レバ死人ニ同ジ、誰ニ向テ語ンヤ、性善ト云ハ、我性ヲ知テ、孟子ノ善トノ玉フハ是カ非カ、我性ニ合カ不合カト、手前ニ法ヲ求テ後ノ詮議ナリ、先性善ノコトハ差置、孔子一貫トノ玉フハ、イカヾ得心セラレ候ヤ、
新字:答、否シカラズ、サリナガラ、汝ハイカヤウトモ思ハルベシ、所詮我云所ハ聞ヘマジ、曰、汝ガ思フ所ニ当ルユヘノ返答カヤ、答、左ニハ非ズ、子曰、朽木不可彫也、糞土之牆不可朽ト、汝ガ如ク、我体ヲ見失テ、其ヲ不知者ハ、朽木ニ彫物スル如ク、相手無レバ死人ニ同ジ、誰ニ向テ語ンヤ、性善ト云ハ、我性ヲ知テ、孟子ノ善トノ玉フハ是カ非カ、我性ニ合カ不合カト、手前ニ法ヲ求テ後ノ詮議ナリ、先性善ノコトハ差置、孔子一貫トノ玉フハ、イカヾ得心セラレ候ヤ、
書き下し
答、否しからず。さりながら、汝はいかやうとも思はるべし。所詮我云所は聞へまじ。曰く、汝が思ふ所に当るゆへの返答かや。答、左には非ず。子曰く、朽木は彫るべからず、糞土の牆は朽るべからずと。汝が如く、我体を見失て、其を知らざる者は、朽木に彫物する如く、相手無れば死人に同じ。誰に向て語んや。性善と云は、我性を知て、孟子の善との玉ふは是か非か、我性に合か合ざるかと、手前に法を求て後の詮議なり。先性善のことは差置、孔子一貫との玉ふは、いかゞ得心せられ候や。
現代語訳
答え。「そうではありません。けれどもあなたはどうとでもお思いなさい。どうせわたしの言うことは通じないでしょう。」問う人「図星を指されたからそう返すのですか。」答え。「そうではありません。孔子は『朽ちた木には彫刻できない。腐った土の塀は塗り直せない』とおっしゃいました。あなたのように自分自身を見失い、それを知らない者は、朽ちた木に彫り物をするようなもので、話し相手がいなければ死人と同じです。誰に向かって語ればよいのでしょう。性善というのは、自分の性を知ったうえで、孟子が善とおっしゃるのは正しいか否か、自分の性に合うか合わないかと、自分の手元に基準を求めてからする吟味なのです。まず性善のことは置いておきましょう。孔子が『一貫』とおっしゃったのを、あなたはどう納得しておられますか。」
解説
この章句が説くこと
関連する章句
-
『墨子』法儀然らば則ち奚を以て治法を為して可ならんか。故に曰く、天に法るに若くは莫し、と。天の行いは廣くして私無く、其の施しは厚くして徳とせず、其の明るきは久しくして衰えず。故に聖王は之に法る。既に天を以て法と為さば、動作有為には、必ず天に度り、天の欲する所は則ち之を為し、天の欲せざる所は則ち止む。
-
『墨子』尚賢下子墨子言いて曰く、「天下の王公大人は皆な其の國家の富み、人民の衆く、刑法の治まるを欲す。然れども尚賢を以て政を為して其の國家百姓を治むるを識らず。王公大人、本より尚賢の政を為すの本を失えるなり。若し茍くも王公大人、本より尚賢の政を為すの本を失わば、則ち物を舉げて之に示す毋くんばある能わざらんや。今、若し一諸侯、此に有りて、國家に政を為すや、曰く、『凡そ我が國の能く射御する士は、我れ將に之を賞し貴くせんとす。射御する能わざる士は、我れ將に之を罪し賤しくせんとす』と。若の國の士に問う、孰か喜び孰か懼れんと。我れ以て必ず能く射御する士は喜び、射御する能わざる士は懼れんと為す。我れ賞して因りて之を誘わん、曰く、『凡そ我が國の忠信の士は、我れ將に之を賞し貴くせんとす。忠信ならざる士は、我れ將に之を罪し賤しくせんとす』と。」
-
『墨子』法儀子墨子曰く、天下の事を從むる者は、以て法儀無かる可からず。法儀無くして其の事能く成る者は、有ること無し。士の將相為る者に至ると雖も皆な法有り、百工の事を從むる者に至ると雖も亦た皆な法有り。百工は方を為すに矩を以てし、圜を為すに規を以てし、直きは繩を以てし、正しきは懸を以てす。巧工も不巧工も無く、皆な此の四者を以て法と為す。巧なる者は能く之に中り、不巧なる者は中つる能わずと雖も、放依して以て事を從めば、猶お已に逾えたり。故に百工の事を從むるや、皆な法度有り。今、大なる者は天下を治め、其の次は大國を治むるに、而も法度無し。此れ百工の辯なるに若かざるなり。
-
『墨子』法儀然らば則ち奚を以て治法を為して可ならんか。當に皆な其の父母に法らば奚若ん。天下の父母為る者は衆けれども、仁なる者は寡し。若し皆な其の父母に法らば、此の法は不仁なり。法、不仁なれば、以て法と為す可からず。當に皆な其の學に法らば奚若ん。天下の學を為す者は衆けれども、仁なる者は寡し。若し皆な其の學に法らば、此の法は不仁なり。法、不仁なれば、以て法と為す可からず。當に皆な其の君に法らば奚若ん。天下の君為る者は衆けれども、仁なる者は寡し。若し皆な其の君に法らば、此の法は不仁なり。法、不仁なれば、以て法と為す可からず。故に父母・學・君の三者は、以て治法と為す可き莫し。
-
『墨子』尚賢上是の故に古者、聖王の政を為すや言いて曰く、「義ならざれば富まさず、義ならざれば貴くせず、義ならざれば親しまず、義ならざれば近づけず」と。是を以て國の富貴の人、之を聞きて、皆な退きて謀りて曰く、「始め我が恃む所の者は富貴なり。今、上、義を舉ぐるに貧賤を辟けず。然らば則ち我れ義を為さざる可からず」と。親しき者、之を聞き、亦た退きて謀りて曰く、「始め我が恃む所の者は親なり。今、上、義を舉ぐるに親疎を辟けず。然らば則ち我れ義を為さざる可からず」と。近き者、之を聞き、亦た退きて謀りて曰く、「始め我が恃む所の者は近なり。今、上、義を舉ぐるに近を辟けず。然らば則ち我れ義を為さざる可からず」と。逺き者、之を聞き、亦た退きて謀りて曰く、「始め我れ逺きを以て恃む無しと為す。今、上、義を舉ぐるに逺きを辟けず。然らば則ち我れ義を為さざる可からず」と。逺鄙郊外の臣、門庭の庶子、國中の衆、四鄙の氓人に逮び至るまで、之を聞きて皆な競いて義を為す。
-
『墨子』尚同上子墨子言いて曰く、古者、民、始めて生じて未だ刑政有らざる時、盖し其の語、人ごとに義を異にす。是を以て一人なれば則ち一義、二人なれば則ち二義、十人なれば則ち十義。其の人、滋いよ衆ければ、其の義と謂う所の者も亦た滋いよ衆し。是を以て人は其の義を是として、以て人の義を非とす。故に交ごも相い非とし是とするなり。内なる者は父子兄弟、怨惡を作し、離散して相い和合する能わず。天下の百姓、皆な水火毒藥を以て相い虧害し、餘力有るに至るも以て相い勞う能わず。餘財を府列するも以て相い分かたず、良道を隠匿するも以て相い教えず。天下の亂るること、禽獸の若く然り。