都鄙問答 / 卷之三・性理問答ノ段
或學者問曰、大聖孔子ハ、三綱五常ノ道ヲ說、性理ノ沙汰ニハ及ビ玉ハズ、孟子ニ至テ、人ノ性ハ善ナリト云、又我浩然ノ氣ヲ養トノ玉フ、告子ハ生之謂性、又曰、性無善無不善、或性猶杞柳、性猶湍水ト云、又韓退之ハ、性有三品ト云、荀子ハ、人ノ性惡、其善者僞也ト云、楊子ハ、善惡混ゼリト云ヒ、且老莊佛氏ノ說、彼此ソノ數擧テカゾヘ難シ、何ヲ是トシ、何ヲ非トセン、是ニ因テ我朝ノ儒者モ、或ハ孟子ヲ是トシ、告子韓子ヲ是トシ、又ハ孟子ヲ非トシ、又孔子以下ヲ皆非ノ如ク云者アリ、ソノ論議一トシテ難定、然ルヲ汝宋儒ヲ是トシ、孟子ヲ尊信シ、人ノ性ハ善ト云、我思フニ、兔角決定シガタシ、元來人ニ替リナケレバ、汝モ決定ハ有マジケレドモ、
新字:或学者問曰、大聖孔子ハ、三綱五常ノ道ヲ説、性理ノ沙汰ニハ及ビ玉ハズ、孟子ニ至テ、人ノ性ハ善ナリト云、又我浩然ノ気ヲ養トノ玉フ、告子ハ生之謂性、又曰、性無善無不善、或性猶杞柳、性猶湍水ト云、又韓退之ハ、性有三品ト云、荀子ハ、人ノ性悪、其善者偽也ト云、楊子ハ、善悪混ゼリト云ヒ、且老荘仏氏ノ説、彼此ソノ数挙テカゾヘ難シ、何ヲ是トシ、何ヲ非トセン、是ニ因テ我朝ノ儒者モ、或ハ孟子ヲ是トシ、告子韓子ヲ是トシ、又ハ孟子ヲ非トシ、又孔子以下ヲ皆非ノ如ク云者アリ、ソノ論議一トシテ難定、然ルヲ汝宋儒ヲ是トシ、孟子ヲ尊信シ、人ノ性ハ善ト云、我思フニ、兔角決定シガタシ、元来人ニ替リナケレバ、汝モ決定ハ有マジケレドモ、
書き下し
或学者問ひて曰く、大聖孔子は、三綱五常の道を説、性理の沙汰には及び玉はず。孟子に至て、人の性は善なりと云、又我浩然の気を養との玉ふ。告子は生を之れ性と謂ふ、又曰く、性は善無く不善無し、或は性は猶ほ杞柳のごとし、性は猶ほ湍水のごとしと云。又韓退之は、性に三品有りと云。荀子は、人の性は悪なり、其の善なる者は偽なりと云。楊子は、善悪混ぜりと云ひ、且老荘仏氏の説、彼此その数挙てかぞへ難し。何を是とし、何を非とせん。是に因て我朝の儒者も、或は孟子を是とし、告子韓子を是とし、又は孟子を非とし、又孔子以下を皆非の如く云者あり。その論議一として定め難し。然るを汝宋儒を是とし、孟子を尊信し、人の性は善と云。我思ふに、兔角決定しがたし。元来人に替りなければ、汝も決定は有まじけれども、
現代語訳
ある学者が問うて言いました。「大聖孔子は三綱五常の道を説かれましたが、性や理の議論にまでは踏み込まれませんでした。孟子になって人の性は善であると言い、また自分は浩然の気を養うとおっしゃいました。告子は『生まれつきのものを性という』と言い、また『性には善も不善もない』とも、『性は杞柳のようなもの』『性は渦巻く水のようなもの』とも言いました。韓退之(韓愈)は性に三つの品があると言い、荀子は人の性は悪であり、善いところは人為によるものだと言い、楊子(揚雄)は善と悪が混じっていると言いました。そのうえ老荘や仏教の説まであって、数え上げればきりがありません。何を正しいとし、何を誤りとすればよいのでしょう。そのためわが国の儒者も、孟子を正しいとする者、告子や韓愈を正しいとする者、孟子を誤りとする者、孔子以下をみな誤りのように言う者までいて、議論は一つとして定まりません。それなのにあなたは宋の儒者を正しいとし、孟子を尊んで人の性は善だと言います。わたしが思うに、とにかく決めがたいことです。もともと人に違いはないのですから、あなたにも確かな決着はないでしょうが、
解説

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