都鄙問答 / 卷之二・或學者、商人ノ學問ヲ譏ノ段
我未之見トノ玉フ、世界ハ廣キコトナレバ、鼻ヲ塞デ、不義ノ物ヲ受ル士モ有ベシ、若有ラバ、士ニ似テ刀ヲ指盜人ニテ有ン、事ヲ賴ム者ヨリ賂ヲトル壁ヲ穿盜人ニ同ジ、靑砥ガ公事ヲ分明ニ分ルコトハ、相模守殿ヲ思ヒタテマツルト云ナレバ、我身ヲ脩メ、役目ヲ正ク勉メ邪ナキハ、君ヘノ忠臣ナリ、今治世ニ、何ゾ不忠ノ士アランヤ、商人モ二重ノ利、密々ノ金ヲ取ルハ、先祖ヘノ不孝不忠ナリトシリ、心ハ士ニモ劣ルマジト思フベシ、商人ノ道ト云トモ、何ゾ士農工ノ道ニ替ルコト有ランヤ、孟子モ、道ハ一ナリトノ玉フ、士農工商、トモニ天ノ一物ナリ、天ニ二ツノ道有ランヤ、
新字:我未之見トノ玉フ、世界ハ広キコトナレバ、鼻ヲ塞デ、不義ノ物ヲ受ル士モ有ベシ、若有ラバ、士ニ似テ刀ヲ指盗人ニテ有ン、事ヲ頼ム者ヨリ賂ヲトル壁ヲ穿盗人ニ同ジ、青砥ガ公事ヲ分明ニ分ルコトハ、相模守殿ヲ思ヒタテマツルト云ナレバ、我身ヲ脩メ、役目ヲ正ク勉メ邪ナキハ、君ヘノ忠臣ナリ、今治世ニ、何ゾ不忠ノ士アランヤ、商人モ二重ノ利、密々ノ金ヲ取ルハ、先祖ヘノ不孝不忠ナリトシリ、心ハ士ニモ劣ルマジト思フベシ、商人ノ道ト云トモ、何ゾ士農工ノ道ニ替ルコト有ランヤ、孟子モ、道ハ一ナリトノ玉フ、士農工商、トモニ天ノ一物ナリ、天ニ二ツノ道有ランヤ、
書き下し
我未だ之を見ずとのたまふ。世界は広きことなれば、鼻を塞いで、不義の物を受くる士も有るべし。若し有らば、士に似て刀を指す盗人にて有らん。事を頼む者より賂をとる、壁を穿つ盗人に同じ。青砥が公事を分明に分くることは、相模守殿を思ひたてまつると云ふなれば、我が身を修め、役目を正しく勉め邪なきは、君への忠臣なり。今治世に、何ぞ不忠の士あらんや。商人も二重の利、密々の金を取るは、先祖への不孝不忠なりとしり、心は士にも劣るまじと思ふべし。商人の道と云ふとも、何ぞ士農工の道に替ること有らんや。孟子も、道は一なりとのたまふ。士農工商、ともに天の一物なり。天に二つの道有らんや。
現代語訳
「わたしはまだ見たことがない』と言われました。世界は広いから、鼻をつまんで不義の物を受け取る士もいるでしょう。もしいるなら、それは士に似せて刀を差した盗人です。事を頼む者から賄賂を取るのは、壁に穴をあける盗人と同じです。青砥が訴えをはっきり裁いたのは相模守殿を思い奉るからだというのなら、身を修め、役目を正しく勤めて邪のないことが主君への忠臣です。今の治まった世に、どうして不忠の士がいるでしょう。商人も、二重の利やひそかな金を取るのは先祖への不孝不忠だと知り、心は士にも劣るまいと思うべきです。商人の道といっても、どうして士農工の道と違うことがありましょう。孟子も道は一つだと言っています。士農工商はともに天の一つです。天に二つの道があるでしょうか。」
解説

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