都鄙問答 / 卷之二・或學者、商人ノ學問ヲ譏ノ段
二重ノ利ヤ、倒者ノ禮銀ヤ、拂ノシカケナドノ無理、盡ク合セ聚テ見タリトモ、ソレニテ世帶ガ持ルヽ者ニハ非ズ、此理ハ萬事ニワタルベシ、然レドモ慾心勝テ、百目ノ所ガ離レ難キユヘニ、不義ノ金ヲ設ケ、可愛子孫ノ絕ヘ亡ルコトヲ知ラザルハ、哀キコトニアラズヤ、前ニ云如クニ、兔角今日ノ上ハ、何事モ淸潔ノ鏡ニハ、士ヲ法トスベシ、孟子曰、無恆產而有恆心者、惟士爲能ト、昔鎌倉最明寺殿、天下ノ政ヲ、皆相模守殿ヘ讓リ玉ヒ、諸國ヲ巡リ玉フハ、天下ノ邪正ヲ正ンタメナリ、コレ下ノ訴、上ヘ通ゼザルコトヲ歎キ玉フユヘナリ、上、仁ナレバ、下、義ナラザルコトナシ、此ニ靑砥左衞門尉誠賢、鎌倉ニ於テ訴ヲ分ル時、
新字:二重ノ利ヤ、倒者ノ礼銀ヤ、払ノシカケナドノ無理、尽ク合セ聚テ見タリトモ、ソレニテ世帯ガ持ルヽ者ニハ非ズ、此理ハ万事ニワタルベシ、然レドモ慾心勝テ、百目ノ所ガ離レ難キユヘニ、不義ノ金ヲ設ケ、可愛子孫ノ絶ヘ亡ルコトヲ知ラザルハ、哀キコトニアラズヤ、前ニ云如クニ、兔角今日ノ上ハ、何事モ清潔ノ鏡ニハ、士ヲ法トスベシ、孟子曰、無恒産而有恒心者、惟士為能ト、昔鎌倉最明寺殿、天下ノ政ヲ、皆相模守殿ヘ譲リ玉ヒ、諸国ヲ巡リ玉フハ、天下ノ邪正ヲ正ンタメナリ、コレ下ノ訴、上ヘ通ゼザルコトヲ嘆キ玉フユヘナリ、上、仁ナレバ、下、義ナラザルコトナシ、此ニ青砥左衛門尉誠賢、鎌倉ニ於テ訴ヲ分ル時、
書き下し
二重の利や、倒れ者の礼銀や、払ひのしかけなどの無理、尽く合はせ聚めて見たりとも、それにて世帯が持たるる者には非ず。此の理は万事にわたるべし。然れども欲心勝ちて、百目の所が離れ難きゆゑに、不義の金を設け、愛すべき子孫の絶え亡ぶることを知らざるは、哀しきことにあらずや。前に云ふ如くに、兎角今日の上は、何事も清潔の鏡には、士を法とすべし。孟子曰く、恒産無くして恒心有る者は、惟士のみ能くすと為すと。昔鎌倉最明寺殿、天下の政を、皆相模守殿へ譲りたまひ、諸国を巡りたまふは、天下の邪正を正さんためなり。これ下の訴へ、上へ通ぜざることを歎きたまふゆゑなり。上、仁なれば、下、義ならざることなし。此に青砥左衛門尉誠賢、鎌倉に於て訴へを分くる時、
現代語訳
「二重の利や、倒産者からの礼金や、支払いのからくりなどの無理をすべて集めてみても、それで所帯が保てるわけではありません。この道理は何事にも当てはまります。けれども欲心に負けて、百目のところが手放せないために不義の金をもうけ、かわいい子孫が絶え滅びることに気づかないのは、哀れなことではありませんか。前に言ったように、とにかく今の世では、何事も清廉の手本は武士に取るべきです。孟子は『決まった財産がなくても変わらぬ心を持てるのは、ただ士だけだ』と言いました。昔、鎌倉の最明寺殿(北条時頼)は、天下の政治をすべて相模守殿(時宗)に譲り、諸国を巡られたのは、天下の邪と正を正すためでした。下の訴えが上に届かないことを嘆かれたからです。上が仁であれば、下が義でないことはありません。ここに、青砥左衛門尉が鎌倉で訴訟を裁いたとき、」
解説
この章句が説くこと
関連する章句
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『都鄙問答』卷之二・或學者、商人ノ學問ヲ譏ノ段相模守殿家人と公文と相論有りしが、相模守殿家人の無理なれども、評定の面々、時の権威に恐れて、理非を分かたざる所に、青砥是を分明に分く。此の時公文大いに悦び、其の夜半に、鳥目三百貫文、青砥が屋舗へ、後の山より落し入れぬ。青砥是を見て喜ばずして、残らず返し遣はして言ふ様は、相模守殿よりこそ、褒美をば受くべき所なり。公事を分明に分くるは、相模守殿を思ひたてまつるゆゑなり。天下の理非正しきは、相模守殿喜びたまふべき所なりとぞ言ひける。かくの如き者は、士の中に入るべし。才知は青砥に劣る人も有るべし。不義の物を受けざるほどの事、青砥に劣らば、士とは云はれまじ。ここを以て見れば、世の人の鏡と成るべき者は士なり。子曰く、蓋し之有らん、
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『都鄙問答』卷之一・商人ノ道ヲ問ノ段且つ天下の財宝を通用して、万民の心をやすむるなれば、天地四時流行し、万物育はるると同じく相合はん。此の如くして、富山の如くに至るとも、欲心とはいふべからず。欲心なくして、一銭の費えを惜しみ、青砥左衛門が、五十銭を散じて、十銭を、天下の為に惜しまれし心を味はふべし。此の如くならば、天下公の倹約にもかなひ、天命に合うて福を得べし。福を得て、万民の心を安んずるなれば、天下の百姓といふものにて、常に天下大平を祈るに同じ。且つ御法を守り、我が身を敬むべし。商人といふとも、聖人の道を知らずば、同じ金銀を設けながら、不義の金銀を設け、子孫の絶ゆる理に至るべし。実に子孫を愛せば、道を学びて栄ゆることを致すべし。
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『都鄙問答』卷之二・或學者、商人ノ學問ヲ譏ノ段曰く、然らば商人の売買にて、利を得ることは有るべきことなり。其の外に曲げて非なること候や。答ふ、今日世間のありさまに、曲げて非なること多し。ここを以て教へあるなり。実の商人は、敬み為ざること有り。譬へを以て告げん。我幼年の時分に聞きしこと有り。昔或る国に、中頃より水入りになり、農作ならぬ田地あり。其の昔、水も入らざりし時、年貢をかけられし例により、今も少々宛年貢をかけられしに、其の田地に菓を植ゑ、稲作より増しに、よこものなり揚りければ、其の菓に、先君の時より、又運上をかけらるるとかや。君これを難儀に思し召し、是新法を止め、民の害るることを救はんと志したまへども、親殿の時より始められしことなれば、子の身として、改め変ふることを歎きたまひ、
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『都鄙問答』卷之二・或學者、商人ノ學問ヲ譏ノ段我未だ之を見ずとのたまふ。世界は広きことなれば、鼻を塞いで、不義の物を受くる士も有るべし。若し有らば、士に似て刀を指す盗人にて有らん。事を頼む者より賂をとる、壁を穿つ盗人に同じ。青砥が公事を分明に分くることは、相模守殿を思ひたてまつると云ふなれば、我が身を修め、役目を正しく勉め邪なきは、君への忠臣なり。今治世に、何ぞ不忠の士あらんや。商人も二重の利、密々の金を取るは、先祖への不孝不忠なりとしり、心は士にも劣るまじと思ふべし。商人の道と云ふとも、何ぞ士農工の道に替ること有らんや。孟子も、道は一なりとのたまふ。士農工商、ともに天の一物なり。天に二つの道有らんや。
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『都鄙問答』卷之二・或學者、商人ノ學問ヲ譏ノ段曰く、然らば商人の心得は、如何致して善からんや。答ふ、最前に云へる如くに、一事に因りて、万事を知るを第一とす。一を挙げて云はば、武士たる者、君の為に命を惜しまば、士とは云はれまじ。商人も是を知らば、我が道は明らかなり。我が身を養はるる売り先を、疎末にせずして、真実にすれば、十が八つは、売り先の心に合ふ者なり。売り先の心に合ふやうに、商売に精を入れ勤めなば、渡世に、何んぞ案ずることの有るべき。且つ第一に倹約を守り、是まで一貫目の入用を、七百目にて賄ひ、是迄一貫目有りし利を、九百目あるやうにすべし。売高十貫目の内にて、利銀百目減少し、九百目取らんと思へば、売物が高直なりと尤めらるる気遣ひなし。無きゆゑに心易し。且つ前に云ふ尺違ひの二重の利を取らず、
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『都鄙問答』卷之二・或學者、商人ノ學問ヲ譏ノ段曰く、其の詫人より礼銀を受けとり、事を取り持つは、商人ばかりにて候や。商人の外にも、此の類あるべきことなり。答ふ、商人多くは道を聞かざる故、かやうの類有り。又道を知りて、事を取り捌く者は、左様の不義はせざることなり。仮令御領家領の庄屋年寄にても、上の正しき御政道を受けて、事を取り持つ身として、小百姓より、礼銀などを請け取ること有るべきに非ず。元来士と云はるる身が、下々より密々に、礼銀などを請くることあらば、定めて贔屓の沙汰に至るべし。下々と並んで、何ごとにても取り持つ人を、士と云ふべきか。其は盗人と云ふ者にて、士にはあらず。上にたつ人、下より賂などを受けて、政道たつべきや。仮令当分は知れずとも、天知る地知る我知る人知るなれば、終にはあらはれて、天の罰を受くべし。天罰を知らざる者、天下静謐の世に有るべからず。然れ共売人は士にあらざれば、かやうなる不義有るなり。毫釐ほども道に志あらば、なすべきことに非ず。