都鄙問答 / 卷之二・或學者、商人ノ學問ヲ譏ノ段
曰、商人ノ道ハ、是ニテ有增事足リ候ヤ、答、此ハコレ賣買ノ道ヲ云、此上ハ、中々事多クシテ盡シ難シ、曰、此外ニモ、何ゾムヅカシキ敎アリヤ、答、ムヅカシキ敎ニハアラズ、然レ共、五常五倫ノ道ハ、天下國家ヲ治ルモ一列ナリ、此故ニ、小家トイヘドモ敎アリ、譬ヘテ云ハン、田舍ニテ、大佛殿ヲ見度ト云老衰ノ人有リ、其子孝行ナル者ニテ、在所ニ大工有リケルユヘ、大佛堂ノ雛形ヲ建呉ラレヨ、親ニ見セタキ由云ヒケレバ、大工ノ云フ、我ハ大佛堂ノ雛形ハ、得建申サズ候ト云フ、否、少ク、只四五尺計ニ建クレラレヨト云ヘバ、大工ノ云フ、凡テ本堂作リハ、法ヲ知ラザレバ、雛形モ得建申サズ候、堂ニハ大小アレドモ、
新字:曰、商人ノ道ハ、是ニテ有增事足リ候ヤ、答、此ハコレ売買ノ道ヲ云、此上ハ、中々事多クシテ尽シ難シ、曰、此外ニモ、何ゾムヅカシキ教アリヤ、答、ムヅカシキ教ニハアラズ、然レ共、五常五倫ノ道ハ、天下国家ヲ治ルモ一列ナリ、此故ニ、小家トイヘドモ教アリ、譬ヘテ云ハン、田舎ニテ、大仏殿ヲ見度ト云老衰ノ人有リ、其子孝行ナル者ニテ、在所ニ大工有リケルユヘ、大仏堂ノ雛形ヲ建呉ラレヨ、親ニ見セタキ由云ヒケレバ、大工ノ云フ、我ハ大仏堂ノ雛形ハ、得建申サズ候ト云フ、否、少ク、只四五尺計ニ建クレラレヨト云ヘバ、大工ノ云フ、凡テ本堂作リハ、法ヲ知ラザレバ、雛形モ得建申サズ候、堂ニハ大小アレドモ、
書き下し
曰く、商人の道は、是にて有増し事足り候や。答ふ、此はこれ売買の道を云ふ。此の上は、中々事多くして尽くし難し。曰く、此の外にも、何ぞむづかしき教ありや。答ふ、むづかしき教にはあらず。然れ共、五常五倫の道は、天下国家を治むるも一列なり。此の故に、小家といへども教あり。譬へて云はん。田舎にて、大仏殿を見たしと云ふ老衰の人有り。其の子孝行なる者にて、在所に大工有りけるゆゑ、大仏堂の雛形を建て呉れられよ、親に見せたき由云ひければ、大工の云ふ、我は大仏堂の雛形は、得建て申さず候と云ふ。否、少さく、只四五尺ばかりに建てくれられよと云へば、大工の云ふ、凡て本堂作りは、法を知らざれば、雛形も得建て申さず候。堂には大小あれども、
現代語訳
学者は言いました。「商人の道は、これでおおよそ足りますか。」梅岩は答えました。「これは売買の道を言ったまでです。この先は事が多くて言い尽くせません。」「このほかにも、何か難しい教えがあるのですか。」「難しい教えではありません。けれども五常五倫の道は、天下国家を治めるのも同じ一つです。だから小さな家にも教えがあるのです。たとえで言いましょう。田舎に、大仏殿を見たいという年老いた人がいました。その子は孝行者で、村に大工がいたので、大仏堂の雛形を建ててくれ、親に見せたいのだと頼みました。大工は『わたしは大仏堂の雛形は建てられません』と言う。『いや、小さくていい、四、五尺ほどに建ててくれ』と言うと、大工は『およそ本堂造りは、決まりを知らなければ雛形も建てられません。堂には大小があっても、」
解説

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