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都鄙問答 / 卷之二・或學者、商人ノ學問ヲ譏ノ段

加樣ナルコトヲナス者ハ、甘キ毒ヲ喰テ、自死スルニ同ジ、又人ノ手代ニモ、カヽル邪ヲナス者多シ、是ハ主人ノ思ヒ寄ナキ惡ヲ迎ヘ、主人ニ甘キ毒ヲ喰テ、家ヲ絕ス者ニ同ジ、孟子ノ所謂逢君之惡其罪大ト、然ルヲ主人ハ、金銀ノ損サヘ少ケレバ、忠アル者ト思ヒテ、我身ヲ亡サルヽコトヲ知ラズシテ、是ヲ喜ブ、其根ヲ尋ルニ、商人ハ學問ハイラヌモノナリト云ヒテ、聞コトヲセズ、反テ聞人ヲ笑フ、實ニ一疋ノ鼻ノアル猿ガ、九疋ノ鼻缺猿ニ、笑ヒ殺ルヽト云フニ同ジ、我賢ト思フヨリ、不善ノ道ニ陷レバ、其家、終ニハ禍來ルコトヲ知ラズ、哀哉、易ニ曰、積善家必有餘慶、積不善家必有餘殃、臣弑其君、子弑其父ト、是敎ノ眼ナリ、聖人ノ仁心、

新字:加様ナルコトヲナス者ハ、甘キ毒ヲ喰テ、自死スルニ同ジ、又人ノ手代ニモ、カヽル邪ヲナス者多シ、是ハ主人ノ思ヒ寄ナキ悪ヲ迎ヘ、主人ニ甘キ毒ヲ喰テ、家ヲ絶ス者ニ同ジ、孟子ノ所謂逢君之悪其罪大ト、然ルヲ主人ハ、金銀ノ損サヘ少ケレバ、忠アル者ト思ヒテ、我身ヲ亡サルヽコトヲ知ラズシテ、是ヲ喜ブ、其根ヲ尋ルニ、商人ハ学問ハイラヌモノナリト云ヒテ、聞コトヲセズ、反テ聞人ヲ笑フ、実ニ一疋ノ鼻ノアル猿ガ、九疋ノ鼻欠猿ニ、笑ヒ殺ルヽト云フニ同ジ、我賢ト思フヨリ、不善ノ道ニ陥レバ、其家、終ニハ禍来ルコトヲ知ラズ、哀哉、易ニ曰、積善家必有余慶、積不善家必有余殃、臣弑其君、子弑其父ト、是教ノ眼ナリ、聖人ノ仁心、

書き下し

かやうなることをなす者は、甘き毒を喰ひて、自ら死するに同じ。又人の手代にも、かかる邪をなす者多し。是は主人の思ひ寄りなき悪を迎へ、主人に甘き毒を喰はせて、家を絶やす者に同じ。孟子の所謂君の悪に逢ふは其の罪大なりと。然るを主人は、金銀の損さへ少なければ、忠ある者と思ひて、我が身を亡ぼさるることを知らずして、是を喜ぶ。其の根を尋ぬるに、商人は学問はいらぬものなりと云ひて、聞くことをせず、反りて聞く人を笑ふ。実に一疋の鼻のある猿が、九疋の鼻欠け猿に、笑ひ殺さるると云ふに同じ。我賢しと思ふより、不善の道に陥れば、其の家、終には禍来ることを知らず。哀しい哉。易に曰く、積善の家には必ず余慶有り、積不善の家には必ず余殃有り。臣其の君を弑し、子其の父を弑すと。是教の眼なり。聖人の仁心、

現代語訳

「このようなことをする者は、甘い毒を食らって自ら死ぬのと同じです。また人の店の手代にも、このような邪なことをする者が多い。これは主人の思いもよらない悪を招き入れ、主人に甘い毒を食わせて家を絶やす者と同じです。孟子の言う『主君の悪に迎合する罪は大きい』です。それなのに主人は、金銀の損さえ少なければ忠義な者だと思い、自分が滅ぼされていることも知らずに喜んでいる。その根をたどれば、商人は学問などいらないと言って聞こうとせず、かえって聞く人を笑うからです。まさに、鼻のある一匹の猿が、鼻の欠けた九匹の猿に笑い殺されるというのと同じです。自分は賢いと思うところから不善の道に落ちれば、その家にはついに災いが来ることを知らない。哀れなことです。易に『善を積む家には必ず余慶があり、不善を積む家には必ず余殃がある。臣が君を殺し、子が父を殺す』とあります。これが教えの眼目です。聖人の仁の心を、」

解説

不正の利は「甘き毒」で、目先は甘いが家を滅ぼす、と梅岩は言います。とくに手代(使用人)が主人のために裏金を取るのは、主人に毒を食わせるのと同じで、孟子告子下の「君の悪に逢う(迎合する)は其の罪大なり」に当たる。主人も損が少なければ忠義だと喜んでしまう。九匹の鼻欠け猿が一匹の鼻のある猿を笑い殺すという俗話で、学問を笑う世間の空気を皮肉っています。易の坤卦文言伝「積善の家には必ず余慶あり」は、家の存続を何より重んじた商家に響く一句でした。

この章句が説くこと

甘き毒積善手代迎合

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