都鄙問答 / 卷之二・或學者、商人ノ學問ヲ譏ノ段
曰、然レドモ世俗ニ、商人ト屏風トハ、直ニテハ不立トイヘルハ、如何ナルコトゾヤ、答、世俗ノ言ニ、加樣ナル聞誤リ多シ、先屏風ハ少シニテモユガミアレバ疊マレズ、此故ニ地面平カナラザレバタヽズ、商人モソノ如ク、自然ノ正直ナクシテハ、人ト竝ビ立テ通用ナリ難シ、コレヲ屏風ノスグニタトヘタルモノナリ、屏風ト商人トハ、直ナレバ立ツ、曲メバタヽヌト云フコトヲ、取リ違ヘテ云リ、古ヘノ伯夷ノ直モ、屏風ノ直ニ勝ルコトアルベカラズ、
新字:曰、然レドモ世俗ニ、商人ト屏風トハ、直ニテハ不立トイヘルハ、如何ナルコトゾヤ、答、世俗ノ言ニ、加様ナル聞誤リ多シ、先屏風ハ少シニテモユガミアレバ畳マレズ、此故ニ地面平カナラザレバタヽズ、商人モソノ如ク、自然ノ正直ナクシテハ、人ト並ビ立テ通用ナリ難シ、コレヲ屏風ノスグニタトヘタルモノナリ、屏風ト商人トハ、直ナレバ立ツ、曲メバタヽヌト云フコトヲ、取リ違ヘテ云リ、古ヘノ伯夷ノ直モ、屏風ノ直ニ勝ルコトアルベカラズ、
書き下し
曰く、然れども世俗に、商人と屏風とは、直ぐにては立たずといへるは、如何なることぞや。答ふ、世俗の言に、かやうなる聞き誤り多し。先づ屏風は少しにてもゆがみあれば畳まれず。此の故に地面平らかならざればたたず。商人もその如く、自然の正直なくしては、人と並び立ちて通用なり難し。これを屏風のすぐにたとへたるものなり。屏風と商人とは、直ぐなれば立つ、曲めばたたぬと云ふことを、取り違へて云へり。古への伯夷の直ぐも、屏風の直ぐに勝ることあるべからず。
現代語訳
学者は言いました。「けれども世間では、商人と屏風はまっすぐでは立たない、と言うのはどういうことですか。」梅岩は答えました。「世間の言葉には、このような聞き違いが多いのです。そもそも屏風は少しでもゆがんでいれば畳めません。だから地面が平らでなければ立ちません。商人も同じで、自然の正直さがなければ、人と並び立って通用することは難しい。これを屏風のまっすぐさにたとえたのです。屏風と商人は、まっすぐなら立ち、曲がれば立たない、ということを取り違えて言っているのです。昔の伯夷のまっすぐさも、屏風のまっすぐさにまさることはないでしょう。」
解説
この章句が説くこと
関連する章句
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『都鄙問答』卷之二・或學者、商人ノ學問ヲ譏ノ段曰く、商人の、屏風にならぶほどの直ぐと云ふことは、如何なることぞや。答ふ、凡そ貨を鬻ぐを商と曰ふ。然れば貨を売る中に、禄あることを知るべし。このゆゑに商人は、左の物を右へ取り渡しても、直ぐに利を取るなり。曲げて取るにあらず。口入ればかりする商人を問屋と云ふ。問屋の口銭を取るは、書付を出し置けば、人皆これを見る。鏡に物を移すが如し。隠す処にあらず。直ぐに利を取る証なり。商人は直ぐに利を取るに由りて立つ。直ぐに利を取るは、商人の正直なり。利を取らざるは、商人の道にあらず。ここを以て正しき士は、此の売物は損銀たち候へ共、負けて売らんと云ふ時は買はず。我買うてやるは、汝に利を得させん為なり。汝が合力は受けずと云へり。利を取らざるは、商人の道にあらず。
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『都鄙問答』卷之二・或學者、商人ノ學問ヲ譏ノ段能く能く味ふべき所なり。聖人斯くのごとく不善を悪みたまふ味はひを知らば、二重の利を取り、二升の似をし、密々の礼を請くることなどは、危うして浮べる雲の如くに思ふべし。是を能く能くつつしむは、只学問の力なり。世間のありさまを見れば、商人のやうに見えて盗人あり。実の商人は、先も立ち、我も立つことを思ふなり。紛れものは、人をだまして其の座をすます。是を一列に云ふべきにはあらず。
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『都鄙問答』卷之二・或學者、商人ノ學問ヲ譏ノ段我より人の実不実をみる如く、他よりも又、我が実不実を見ることを知らず。伝に曰く、人の己を視ること其の肺肝を見るが如しと。此の理を知れば、辞を飾らず、ありべかかりに云ふゆゑに、正直ものなりと、何事も任せ頼まるるゆゑに、世話なしに、人一倍も売るものなり。商人は正直に思はれ、打ち解けたるは、互ひに善き者と知るべし。此の味はひは、学問の力なくては知れざる所なり。然るを商人は、学問はいらぬものと云ひて、嫌ひ用ひざることは如何なることぞや。
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『都鄙問答』卷之四・或人天地開闢ノ說ヲ譏ノ段推量とは雲泥違ふ所なり。或儒者、田舎へ通ふ商人と親類にて、互ひに因せられしに、儒者の曰く、汝も少々は学問せられよかし、如何としても文盲なりと云はれければ、商人の云ふ、我少しも文盲なること候はず。斯くの如く絹布に札を付け、何国にて売るべき心当てもなけれども、売買して父母妻子を養ひ、家内を治めり。汝が如く文字を效へば、文字を読む。汝我に代りて、一日これを勉め見よ。売買のことは知らずと云はば、我に替ることなし。我が職分を知れば事は足れり。汝箇程の理を知らずば、夫を学者と云ふべきや。彼の儒者も、中京にて、近代誰と世に知れし儒者なれども、彼れが理の明らかなるに及ばざれば、答ふべきことなし。文学なけれども、足ることを知る者はかくの如し。
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『都鄙問答』卷之二・或學者、商人ノ學問ヲ譏ノ段曰く、汝は財宝を舎てて、唯義を上と云ふ。然らば不義を嫌ひて、利ありとも、決してせざるか。答ふ、其の不義を行へば、心の苦となる。苦を離るる為にする学問なれば、奚ぞ不義を以て心を苦しむることをせん。曰く、商人などは、毎々に詐を以て、利を得ることを所作とす。然らば学問などは、決して成るまじきことなるに、汝が方へは、多く商売人相見え候由。汝は此にては此に合せ、彼にては彼に合せて教ゆるなれば、孔子ののたまふ郷原にて徳の賊とは、汝がことなり。学者にあらずして流れを同じうし、汚世にかなうて世に媚びへつらひ、人を誣ひ、己が心を欺く小人なり。門人は是を知らず、汝も学者の中と思はるるは、恥づかしきにあらずや。
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『都鄙問答』卷之二・或學者、商人ノ學問ヲ譏ノ段曰く、然らば売物に利を取らず、元金に売り渡すことを教ゆるや。習ふ者、外には利を取らぬことを学び、内証にては利を取れば、実の教にあらずして、反りて詐りを教ゆると云ふ者なり。如何となれば、元来ならぬことを強ふるによりて、かやうに前後合はざることあり。商人利欲なくしてすむことは、終に聞かざることなり。