都鄙問答 / 卷之二・或學者、商人ノ學問ヲ譏ノ段
今暫下シヲカレ候御扶持ニテ渡世仕、一兩年ノ中、家屋鋪諸道具等賣拂、借銀相スマシ、其上ニテ御用相勤申シ度候ト云、然ラバ其口書セヨト云テ、口書ヲトリテ歸サル、其後評議アリテ、一人ノ用達ハ身上不如意ナル者ヲ手本トシ、高利ヲトリ、其上役人ヲ云掠ル咎アリトテ、用事ヲ取リアゲラレシトカヤ、又一人ハ、正直ナル申ブンナリ、其上彼レガ貧乏ハ、亡父ガ奢ノ爲所、彼ガ咎ニハアラズ、亡父ガ咎ヲ身ニ受ル孝心、殿ヘノ忠義、彼此後々ニ至テモ、爲ニ成ベキ者ナリトテ、古借ヲ聞屆合力致シ、用向ヲコレマデノ通リニ云附ヨト有リ、此正直ニヨツテ幸ヲ得タリ、コレハ是殿樣ノ高恩ヲ忘ズ、高直ナル者ヲ差上マジキト思フ實ト、父ノ奢ヲ隱ス孝ト、
新字:今暫下シヲカレ候御扶持ニテ渡世仕、一両年ノ中、家屋鋪諸道具等売払、借銀相スマシ、其上ニテ御用相勤申シ度候ト云、然ラバ其口書セヨト云テ、口書ヲトリテ帰サル、其後評議アリテ、一人ノ用達ハ身上不如意ナル者ヲ手本トシ、高利ヲトリ、其上役人ヲ云掠ル咎アリトテ、用事ヲ取リアゲラレシトカヤ、又一人ハ、正直ナル申ブンナリ、其上彼レガ貧乏ハ、亡父ガ奢ノ為所、彼ガ咎ニハアラズ、亡父ガ咎ヲ身ニ受ル孝心、殿ヘノ忠義、彼此後々ニ至テモ、為ニ成ベキ者ナリトテ、古借ヲ聞届合力致シ、用向ヲコレマデノ通リニ云附ヨト有リ、此正直ニヨツテ幸ヲ得タリ、コレハ是殿様ノ高恩ヲ忘ズ、高直ナル者ヲ差上マジキト思フ実ト、父ノ奢ヲ隠ス孝ト、
書き下し
今暫く下しおかれ候御扶持にて渡世仕り、一両年の中、家屋舗諸道具等売り払ひ、借銀相済まし、其の上にて御用相勤め申したく候と云ふ。然らば其の口書せよと云ひて、口書をとりて帰さる。其の後評議ありて、一人の用達は身上不如意なる者を手本とし、高利をとり、其の上役人を云ひ掠むる咎ありとて、用事を取りあげられしとかや。又一人は、正直なる申しぶんなり。其の上彼が貧乏は、亡父が奢りの為す所、彼が咎にはあらず。亡父が咎を身に受くる孝心、殿への忠義、彼此後々に至りても、為に成るべき者なりとて、古借を聞き届け合力致し、用向きをこれまでの通りに云ひ附けよと有り。此の正直によつて幸を得たり。これは是殿様の高恩を忘れず、高直なる物を差し上げまじきと思ふ実と、父の奢りを隠す孝と、
現代語訳
「しばらくはいただいている扶持で暮らし、一、二年のうちに家屋敷や道具類を売り払って借金を返し、そのうえで御用を務めさせていただきたく存じます。』役人は、それなら書面にせよと言って、書き取らせて帰しました。その後評議があり、一人目の御用達は、暮らし向きの苦しい者を引き合いに出しながら高い利を取り、そのうえ役人を言いくるめようとした咎があるとして、御用を取り上げられたそうです。もう一人は正直な申し分であり、しかもその貧乏は亡き父の贅沢のせいで本人の咎ではない、父の咎を身に引き受ける孝心と殿への忠義は、これからも役に立つ者だとして、古い借金の事情を聞き届けて援助し、御用はこれまで通り言いつけよ、ということになりました。この正直によって幸いを得たのです。これは、殿様の御恩を忘れず高い品を納めまいと思う誠実さと、父の贅沢をかばう孝行と、」
解説

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『武士道』第九章 忠節・忠と孝の衝突平家物語の作者は、小松内府の父清盛の暴虐を憂ふるの条に至り、惻然として、『悲しきかな、君の御為に奉公の忠を致さんとすれば、迷盧八万の巓よりもなほ高き父の恩、たちまちに忘れんとす。いたましきかな、不孝の罪を遁れんとすれば、君の御為には既に不忠の逆臣ともなりぬべし、進退これ谷れり』と歎ぜり。哀れむべし重盛、彼れ後、霊性の誠を披いて死を天に祈り、純潔正義の宿するに難き此塵世を出離せんことを願ふを見るに非らずや。義理と人情との衝突によりて心破れたるもの、古来其人多し、あに独り重盛のみならんや。シェイクスピアも将た旧約全書も、孝を説いて未だ明かなるものあるを見ず。然るに一旦此の衝突の起るや、武士道は孝を捨てて寧ろ忠を取るに遅疑せず。しかのみならず、女子も亦た敢て其子を励まして君主の為に死せしむ。
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『童子問』卷中問ふ、忠と孝と孰れか重き。曰く、軽重無し。君親躰均しく、恩義相倚る。其の親に孝なる者は、必ず其の君に忠なり。其の君に忠なる者は、必ず其の親に孝なり。未だ其の親に孝ならずして、能く其の君に忠なる者有らざるなり。又未だ其の君に忠ならずして、能く其の親に孝なる者有らざるなり。故に孔子曰く、孝を以て君に事ふれば、則ち忠なりと。又曰く、忠臣を孝子の門に求むと。世俗多く忠孝両全する能はずと言ふ。此の言を為す者は、蓋し其の一を勤めて、其の一を緩くせんと欲する意有り。若し不孝の子に非ざれば、必ず是れ不忠の臣なり。不孝の子は人に非ず、不忠の臣も亦人に非ず。之を戒めよ、之を戒めよ。欧陽子曰く、君に在りては則ち君の為にし、親に在りては則ち親の為にすと。此の言之を得たり。
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『翁問答』上卷之本臣下は忠節を以て、君に事ふるを根本とす、忠は二心なく、一筋に君の為め而己思ひ入れ、夫々の職分を能く勤めて我身を捨てゝ奉公する徳なり、夫々の位に由て、大小の差別はあれ共、忠の心法は同じ者なり、君の恩は親の恩に等しき厚恩なれば、親に事ふるが如く、心を尽して仕なり、親は此形を生み育てたる恩なり、君は此身を養ひ給ふ恩なり、親無ければ此身なく、君無ければ此身の養ひ無し皆命を保つ恩なる故に、親にも君にも命を棄て、奉公する道理なり、
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『武士道』第九章 忠節・支那は孝を本とし日本は忠を本とす此れと等しく、日本人の懐抱する如き忠節は、国を異にして之を頌するものの、ほとんど稀なるを見ん。然れども此れ、吾人の観念の非なるが故にあらずして、却つて彼れにありては既に之を忘却せるが故にして、又た日本人の忠節の念に深厚なるは、他国の未だ容易に企及する能はざるものあるが為なるなからんか。グリフィス氏が、支那に在りては孔教は孝を以て百行の基と為し、日本に在りては忠を以て本と為す、と説けるは真に然り。予は今ここに、読者の或は吃驚酸鼻すべきを顧みず、シェイクスピアの所謂『落魄の主君に仕へて艱苦をつぶさにし』、以て『稗史に名を得たる』忠臣の物語を叙せん。其物語は、我国史を飾れる清廉高義の人格、菅原道真を寓せるものなり。
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『囲炉夜話』第百二十則・仁に假仁有り義に假義有り忠に愚忠有り、孝に愚孝有り、忠孝の二字は伶俐の人の做し得來るものに非ざるを知るべし。 仁に假仁有り、義に假義有り、仁義の二途は奸險の人の其の內に藏るること無きにあらざるを知るべし。
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葉隠・聞書第一忠臣は孝子の門に尋ねよとあり。随分(ずいぶん)心を尽くして孝行すべき事なり。奉公に精を出す人は自然にはあれども、孝行に精出す人は稀なり。よき者には他人も懇(ねんご)ろに、亡き後にて残り多く、孝行に精出す人は稀なり。無理なる人、無理なる親にてなくば知れまじきなり。