都鄙問答 / 卷之二・或學者、商人ノ學問ヲ譏ノ段
曰、然ラバ乞食ニモ又道アリヤ、答、嘗聞、或人江州ヘ行キ侍リシニ、一ノ非人村アリ、其所ニ橋ノ渡リ初有リシヲ、立止テ見侍リシニ、非人頭トヲボシキ者、圓座ニ坐シテ有リケリ、村ノ者ドモ、橋ノ渡リ初ノ祝儀ヲ持來ル、其中ヨリ、痩テ色惡キ男一人、茄子三ッ持來テ、頭ノ前ニ進ム、頭タル者是ヲ見テ、汝ハ頃日相煩ヒ居ルト聞シニ、何トテ此茄子ヲ持來ルヤト問ケレバ、左樣ニ候、永々ノ病氣、ナンギ仕候所ニ、此度橋ノ渡リ初ニツキ、頭殿ヘ祝儀ヲ致ベキ由、小頭ヨリ申渡シ候ユヘ、夜前他所ノ畠ヘ往盜ミ申候ト云、頭ノ云、乞食ハ、盜ヲセマジキ爲ナリ、盜ヲナセバ乞食ハセズ、汝ハ村ノ住居ハ成マジキト云テ、小頭ヲ召テ、彼レガ快氣次第、村ヲ拂フベシ、病氣ノ中ハ、番ヲ致スベシト云ワタシケルトカヤ、飢テ死ストモ、盜マヌハ乞食ノ道ナリ、子曰、君子固窮、小人窮斯濫矣、困窮シテモ、正キヲ守ラバ君子ナリ、困窮シテ放濫ハ小人ナリ、小人トナツテ、乞食ニ劣ハ、哀キニアラズヤ、
新字:曰、然ラバ乞食ニモ又道アリヤ、答、嘗聞、或人江州ヘ行キ侍リシニ、一ノ非人村アリ、其所ニ橋ノ渡リ初有リシヲ、立止テ見侍リシニ、非人頭トヲボシキ者、円座ニ坐シテ有リケリ、村ノ者ドモ、橋ノ渡リ初ノ祝儀ヲ持来ル、其中ヨリ、痩テ色悪キ男一人、茄子三ッ持来テ、頭ノ前ニ進ム、頭タル者是ヲ見テ、汝ハ頃日相煩ヒ居ルト聞シニ、何トテ此茄子ヲ持来ルヤト問ケレバ、左様ニ候、永々ノ病気、ナンギ仕候所ニ、此度橋ノ渡リ初ニツキ、頭殿ヘ祝儀ヲ致ベキ由、小頭ヨリ申渡シ候ユヘ、夜前他所ノ畠ヘ往盗ミ申候ト云、頭ノ云、乞食ハ、盗ヲセマジキ為ナリ、盗ヲナセバ乞食ハセズ、汝ハ村ノ住居ハ成マジキト云テ、小頭ヲ召テ、彼レガ快気次第、村ヲ払フベシ、病気ノ中ハ、番ヲ致スベシト云ワタシケルトカヤ、飢テ死ストモ、盗マヌハ乞食ノ道ナリ、子曰、君子固窮、小人窮斯濫矣、困窮シテモ、正キヲ守ラバ君子ナリ、困窮シテ放濫ハ小人ナリ、小人トナツテ、乞食ニ劣ハ、哀キニアラズヤ、
書き下し
曰く、然らば乞食にも又道ありや。答ふ、嘗て聞く、或人江州へ行き侍りしに、一つの非人村あり。其の所に橋の渡り初め有りしを、立ち止まりて見侍りしに、非人頭とおぼしき者、円座に坐して有りけり。村の者ども、橋の渡り初めの祝儀を持ち来る。其の中より、痩せて色悪しき男一人、茄子三つ持ち来て、頭の前に進む。頭たる者是を見て、汝は頃日相煩ひ居ると聞きしに、何とて此の茄子を持ち来るやと問ひければ、左様に候、永々の病気、なんぎ仕り候所に、此の度橋の渡り初めにつき、頭殿へ祝儀を致すべき由、小頭より申し渡し候ゆゑ、夜前他所の畠へ往き盗み申し候と云ふ。頭の云ふ、乞食は、盗をせまじき為なり。盗をなせば乞食はせず。汝は村の住居は成るまじきと云ひて、小頭を召して、彼が快気次第、村を払ふべし、病気の中は、番を致すべしと云ひわたしけるとかや。飢ゑて死すとも、盗まぬは乞食の道なり。子曰く、君子固より窮す、小人窮すれば斯に濫る。困窮しても、正しきを守らば君子なり。困窮して放濫は小人なり。小人となつて、乞食に劣るは、哀しきにあらずや。
現代語訳
学者は言いました。「では乞食にも道があるのですか。」梅岩は答えました。「以前こんな話を聞きました。ある人が近江へ行ったとき、ある非人村で橋の渡り初めがあり、立ち止まって見ていると、非人頭らしい者が円座に座っていました。村の者たちが渡り初めの祝儀を持ってくる。その中から、痩せて顔色の悪い男が茄子を三つ持って頭の前に進み出ました。頭はそれを見て『おまえはこのところ病気だと聞いていたのに、どうしてこの茄子を持ってきたのか』と尋ねました。男は『その通りで、長い病気で難儀していましたが、このたび橋の渡り初めで頭殿へ祝儀をするようにと小頭から言い渡されたので、昨夜よその畑へ行って盗んできました』と答えました。頭は『乞食をするのは盗みをしないためだ。盗みをするなら乞食はしない。おまえは村には住まわせられない』と言い、小頭を呼んで『病が治りしだい村から追い出せ。病気のあいだは見張っておけ』と申し渡したそうです。飢えて死んでも盗まないのが乞食の道です。孔子は『君子ももとより困窮する。小人は困窮すると乱れる』と言いました。困窮しても正しさを守れば君子、困窮して乱れるのは小人です。小人になって乞食に劣るのは、哀れではありませんか。」
解説

人生を、一行の式にしてみた。
志×積×時×憤÷(1+執)+命。古典から導いた式『人生の方程式』と、二十四の悩みに古典が答える『人生の教科書』(PDF)、師導の全機能1か月がセットで700円です。
本の中身を見るこの章句が説くこと
関連する章句
-
論語・学而篇子曰く、「君子は食らうに飽くことを求めず、居るに安きを求めず、事に敏にして言に慎み、有道に就いて正す。学を好むと謂う可きのみ。」
-
『翁問答』下卷之本聖人の才徳天地神明とおなじき故に、神明不測広大周備、言語道断なり、賢人の才徳も大かた聖人の体段そなはりぬれども、神明不測の位にいたらず、英雄は大将の才徳は賢人と同じけれども、余の才と徳とは賢人より一位おとりて英雄のかどあるなり、聖人賢人英雄この三人は、才徳の高下大小ありと雖、いづれも君子なれば治世にも乱世にも天下無双の重宝なる人なり、奸雄は敵を退治する一科の用に立つ事は賢人英雄にもおとらねども、明徳くらく邪欲ふかき故、むほん逆心の疑ひありて、味方のたのみあやうし、さて国治まりて仕置などまかせぬれば国をみだり、乱をおこすものなり、
-
論衡・『論衡』講瑞篇第五十・人が集まることは賢さの証ではない君子は世に在りて、清節自ら守り、広く従を結ばず、出入動作するも、人は附従せず。豪猾の人は、使いに任せ気を用い、往来進退すれば、士衆は雲のごとく合す。夫れ鳳皇は君子なり。必ず随う者の多きを以て鳳皇に験さば、是れ豪黠を君子と為すなり。歌曲は弥いよ妙なれば、和する者は弥いよ寡く、行操は益ます清ければ、交わる者は益ます鮮し。鳥獣も亦た然り。必ず附従を以て鳳皇に験さば、是れ和する者の多きを用て妙曲と為すなり。
-
『養生訓』巻第六・択医一医とならば君子医となるべし、小人医となるべからず。君子医は人のためにす。人を救ふに、志専一なるなり。小人医はわが為にす。わが身の利養のみ志し、人をすくふに、志専ならず。医は仁術なり。人を救ふを以て志とすべし。是人のためにする君子医なり。人を救ふに志なくして、只身の利養を以て志とするは、是わがためにする小人医なり。医は病者を救はんための術なれば、病家の貴賤貧富の隔なく、心を尽して病を治すべし。病家よりまねかば、貴賤をわかたず、はやく行くべし、遅々すべからず。人の命は至りておもし、病人をおろそかにすべからず。是医となれる職分をつとむるなり。小人医は、医術流行すれば、我が身にほこりたかぶりて、貧賤なる病家をあなどる。是医の本意を失へり。
-
『慎思録』巻之五唯君子のみ能く君子と小人とを知る。小人は君子の心を知ること能はず。反りて猜疑疾悪し、動もすれば妨害を為し、終に枉冤陥殺するに至る者も、亦之れ有り。且つ小人は小人の害を為すを察せず、引き進めて己の助けと為し、終に其の身を亡ぼすに至りて悟らず。至愚にして暁すべからずと謂ふべし。
-
『酔古堂剣掃』集醒・五更の頭に撿點す自家の是れ君子か小人かを知らんと要せば、只だ五更の頭に於いて撿點し、思想する的是れ甚麼なるかを便ち見得ん。