都鄙問答 / 卷之二・或學者、商人ノ學問ヲ譏ノ段
答、君子於其所不知蓋闕如也ト、孔子モノ玉フ、凡テ知ラザルコトハ、闕置ベキコトナリ、此理ヲ知ラズシテ、云チラスハ、野卑コトニアラズヤ、扠汝ノ云ヘル所ハ、世ノ人モ疑フ所ナリ、摠テイヘバ、道ハ一ナリ、然レドモ士農工商トモニ各行フ道アリ、商人ハ云ニ不及、四民ノ外乞食マデニ道アリ、
書き下し
答ふ、君子は其の知らざる所に於て、蓋し闕如たりと、孔子ものたまふ。凡て知らざることは、闕き置くべきことなり。此の理を知らずして、云ひちらすは、野卑なることにあらずや。扨汝の云へる所は、世の人も疑ふ所なり。総ていへば、道は一なり。然れども士農工商ともに各行ふ道あり。商人は云ふに及ばず、四民の外乞食までに道あり。
現代語訳
梅岩は答えました。「君子は自分の知らないことについては口をつぐむものだと、孔子も言っています。知らないことは、わからないまま置いておくべきです。この道理を知らずに言い散らすのは、品のないことではありませんか。さて、あなたの言うことは世間の人も疑っていることです。まとめて言えば道は一つです。けれども士農工商それぞれに行う道があります。商人は言うまでもなく、四民の外の乞食にまで道があるのです。」
解説
罵倒に対し、梅岩はまず論語子路篇の「君子は其の知らざる所に於て蓋し闕如たり」で、知らないことを断定するなとたしなめます。そのうえで、道は一つだが士農工商それぞれに行う道がある、乞食にさえ道がある、と大きく構え直します。身分秩序の中で最下位に置かれた商人を、道の外に置かず、道の内側で位置づけ直すのが石門心学の要です。「道は一つ、行い方は職分ごとに違う」という枠組みは、職業に貴賤なしという近代の職業倫理の先駆けとして読まれてきました。
この章句が説くこと
職分道士農工商闕如商人
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