都鄙問答 / 卷之二・或學者、商人ノ學問ヲ譏ノ段
曰、我ガ云フ所ノ木綿ノコト、是ハ斯細ナルコトナレドモ、汝ガ心ニ濟マズ、ソレユヘニ返答セザルカ、答、是ハ云フマデニ及ザルコトナリ、コヽヲ以返答セズ、曰、其返答ニ不及トハ、如何ナルコトゾ、答、孔子モ己所不欲勿施人ノ玉フ、我否ト思フコトハ、人モ嫌フモノナリ、我ヨリ其木綿ヲ分ルナラバ、汝ニ能方ヲ渡サン、汝ヨリ分ルナラバ、我ニ能キ方ヲ渡スベシ、又汝ノ方ヘ織カケヲ取リ、奧ノ惡鋪所ヲ我ニ渡サバ、汝ノ世話ニセラルヽ故ニ、ソノ筈ナリト思フ、加樣ニサバキ置時ハ、悉ク宜シカラン、汝ニ能物ヲ渡サバ汝ハ喜ビ、我ハ義ヲ以テ仁ヲ養フ、是宜キニアラズヤ、
新字:曰、我ガ云フ所ノ木綿ノコト、是ハ斯細ナルコトナレドモ、汝ガ心ニ済マズ、ソレユヘニ返答セザルカ、答、是ハ云フマデニ及ザルコトナリ、コヽヲ以返答セズ、曰、其返答ニ不及トハ、如何ナルコトゾ、答、孔子モ己所不欲勿施人ノ玉フ、我否ト思フコトハ、人モ嫌フモノナリ、我ヨリ其木綿ヲ分ルナラバ、汝ニ能方ヲ渡サン、汝ヨリ分ルナラバ、我ニ能キ方ヲ渡スベシ、又汝ノ方ヘ織カケヲ取リ、奥ノ悪鋪所ヲ我ニ渡サバ、汝ノ世話ニセラルヽ故ニ、ソノ筈ナリト思フ、加様ニサバキ置時ハ、悉ク宜シカラン、汝ニ能物ヲ渡サバ汝ハ喜ビ、我ハ義ヲ以テ仁ヲ養フ、是宜キニアラズヤ、
書き下し
曰く、我が云ふ所の木綿のこと、是は斯細なることなれども、汝が心に済まず、それゆゑに返答せざるか。答ふ、是は云ふまでに及ばざることなり。ここを以て返答せず。曰く、其の返答に及ばずとは、如何なることぞ。答ふ、孔子も己の欲せざる所を人に施すこと勿れとのたまふ。我否と思ふことは、人も嫌ふものなり。我より其の木綿を分くるならば、汝に能き方を渡さん。汝より分くるならば、我に能き方を渡すべし。又汝の方へ織りかけを取り、奥の悪しき所を我に渡さば、汝の世話にせらるる故に、その筈なりと思ふ。かやうにさばき置く時は、悉く宜しからん。汝に能き物を渡さば汝は喜び、我は義を以て仁を養ふ。是宜しきにあらずや。
現代語訳
学者は言いました。「わたしの言った木綿のことは、些細なことだが、あなたの心で片がつかない。だから答えないのですか。」梅岩は答えました。「これは言うまでもないことなので答えなかったのです。」「言うまでもないとはどういうことですか。」「孔子も、自分がしてほしくないことを人にするなと言っています。自分が嫌だと思うことは、人も嫌うものです。わたしの側から木綿を分けるなら、あなたに良いほうを渡しましょう。あなたの側から分けるなら、わたしに良いほうを渡すでしょう。もしあなたが良い織り始めを取って、奥の悪いところをわたしに渡しても、あなたが手間を取ってくれたのだから当然だと思います。こうして収めておけば、すべてうまくいきます。あなたに良い物を渡せばあなたは喜び、わたしは義によって仁を養う。これが宜しいということではありませんか。」
解説

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『弁名』義「君臣義有り」と曰ふが如きは、臣を主として之を言ふ。蓋し君は其の全を統ぶる者なり。先王の道は民を安んずるに在り。是を以て仁人に非ずんば則ち道に任ずること能はず。故に曰く、「人君と為りては仁に止まる」と。臣も亦た先王の道に任ずる者なり。然れども君は其の全を統べて、臣は其の分に任ず。各〻官守有り、各〻事とする所有り、千差万別、義に非ずんば則ち能はず。故に義を以て臣の道と為すなり。「子を教ふるに義方を以てす」の如きも、亦た臣の道を教ふるを謂ふなり。各〻官守有りて、彼は此に通ぜず、是れ之を方と謂ふ。唯だ義のみ爾りと為す。論語に曰く、「君子の仕ふるや、其の義を行ふなり」と。又曰く、「義を行ひて以て其の道を達す」と。仕へて以て其の学ぶ所の先王の義を行ふを謂ふなり。
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『童子問』卷下問ふ、老氏の虚無と、釈氏の寂滅と、亦異なる所有りや。曰く、浅深有るがごとしと雖も、然れども其の帰は則ち一なり。老氏は天地万物を以て皆虚無と為し、釈氏は天地万物を以て総べて寂滅と為す。後漢書に云ふ、其の道虚無を以て宗と為すと。是れのみ。其の他種種奇特神通を説くは、皆方便の説のみ。老氏に至つては反つて之無し。仏は慈悲済度を以て主と為す。禅に至つては、則ち一向に棄て去る。理を説くこと至つて高ければ、必ず此に到らざることを得ず。其の慈悲済度を主とするは、仁に似たり。然れども義を知らざるは、則ち一なり。殊に知らず、義は天下の大路にして、一日も離るべからざることを。老氏も亦然り。
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孟子・離婁章句下孟子曰く、「君仁なれば仁ならざる莫く、君義なれば義ならざる莫し。」
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『慎思録』巻之一仲虺の誥に曰く、克く寛に克く仁に、信を兆民に彰かにすと。六経の仁信を言ふは、此に始まる。又曰く、義を以て事を制し、礼を以て心を制すと。六経の義礼を言ふは、此に始まる。又曰く、天乃ち王に勇智を錫ふと。六経の智勇を言ふは、此に始まる。湯誥に曰く、惟れ皇いなる上帝、衷を下民に降す。恒の性有るに若ひ、克く厥の猷を綏んずるは、惟れ后なりと。六経の性を言ふは、此に始まる。太甲に曰く、鬼神は常に享くること無し、克く誠なるに享くと。六経の誠を言ふは、此に始まる。
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『童子問』卷中問ふ。仁義を孔孟学問の宗旨と為すは、何ぞや。曰く、孟子の書は、論語の旨を述ぶる者なり。而して仁義の二字は、是れ開巻第一義なり。七篇の書、言言句句、仁義の功を説くに非ざるは莫し。其の性善を言ふは、仁義の実に己に有るを明らかにするなり。浩然の気を言ふは、仁義の功用を論ずるなり。千言万語至つて多端なりと雖も、仁義の二字に総括せざるは莫し。親を親しむより之を充てて、朋友・郷党・識る所の疎薄の人に至り、慈愛の心、周遍浹洽して、底らざる所無く、而して一毫残忍忮害の念無き者、之を仁と謂ふ。一取舎の間より之を充てて、辨別分明、苟も其の義に非ざれば、則ち之に禄するに天下を以てすとも顧みざる者、之を義と謂ふ。他の卓行偉績、取るべき有りと雖も、然れども少しく仁に於て闕くること有れば、則ち皆徳と為すに足らず。義に於て欠くこと有れば、亦之を称するに足らず。智とは、斯の二者を知りて去らざる、是れなり。礼とは、斯の二者を節文する、是れなり。皆仁義の推なり。仁義の孔孟学問の宗旨たる所以は、此を以てなり。