都鄙問答 / 卷之二・或學者、商人ノ學問ヲ譏ノ段
陰陽剛柔仁義ト分レドモ、天地人ノ三ッヲ窮盡ス時ハ、一箇ノ理ナリ、此性命ノ理ヲ盡シ玉フハ聖人ナリ、コノユヘニ、無爲ニシテ治ル、天道ニ同ジ、子曰、無爲而治者其舜也與、シカレバ天理ニ順フ外ニ道アランヤ、書經ノ意モ、理ニ逆フ時ハ、天命變ジテ亡ブベシトノ敎ナリ、依テ惟命不于常トイヘリ、此ヲ法トシテ、今時モ理ニ順ヘバ、天命ニ合フ、理ト云ハ天地ヨリ人間畜類草木マデ行ルヽ道、ソレゾレニ分レ備リタル體ヲ、假ニ名付テ理ト云、又文字ハ、天地開闢ヨリイハヾ、數億萬歲ノ後ニ作リ初シモノナリ、コレヲ以テ天ノ爲作無量ノ物ニ合ストモ、萬分ノ一ニモ不足、此理ヲ知ルベシ、文字ニ泥ムハ、糟粕ヲ味フニ同ジ、色々理窟ヲツクルトモ、
新字:陰陽剛柔仁義ト分レドモ、天地人ノ三ッヲ窮尽ス時ハ、一箇ノ理ナリ、此性命ノ理ヲ尽シ玉フハ聖人ナリ、コノユヘニ、無為ニシテ治ル、天道ニ同ジ、子曰、無為而治者其舜也与、シカレバ天理ニ順フ外ニ道アランヤ、書経ノ意モ、理ニ逆フ時ハ、天命変ジテ亡ブベシトノ教ナリ、依テ惟命不于常トイヘリ、此ヲ法トシテ、今時モ理ニ順ヘバ、天命ニ合フ、理ト云ハ天地ヨリ人間畜類草木マデ行ルヽ道、ソレゾレニ分レ備リタル体ヲ、仮ニ名付テ理ト云、又文字ハ、天地開闢ヨリイハヾ、数億万歳ノ後ニ作リ初シモノナリ、コレヲ以テ天ノ為作無量ノ物ニ合ストモ、万分ノ一ニモ不足、此理ヲ知ルベシ、文字ニ泥ムハ、糟粕ヲ味フニ同ジ、色々理窟ヲツクルトモ、
書き下し
陰陽剛柔仁義と分るれども、天地人の三つを窮め尽くす時は、一箇の理なり。此の性命の理を尽くしたまふは聖人なり。このゆゑに、無為にして治まる、天道に同じ。子曰く、無為にして治むる者は其れ舜なるか。しかれば天理に順ふ外に道あらんや。書経の意も、理に逆ふ時は、天命変じて亡ぶべしとの教なり。依りて惟れ命は常に于てせずといへり。此を法として、今時も理に順へば、天命に合ふ。理と云ふは天地より人間畜類草木まで行はるる道、それぞれに分れ備はりたる体を、仮に名付けて理と云ふ。又文字は、天地開闢よりいはば、数億万歳の後に作り初めしものなり。これを以て天の為し作す無量の物に合すとも、万分の一にも足らず。此の理を知るべし。文字に泥むは、糟粕を味ふに同じ。色々理窟をつくるとも、
現代語訳
「陰陽・剛柔・仁義と分かれていても、天地人の三つを突き詰めれば一つの理です。この性命の理を尽くしたのが聖人です。だから何もしないで治まる、天道と同じです。孔子は『何もせずに治めたのは舜であろうか』と言いました。そうであれば、天理に従う以外に道があるでしょうか。書経の意味も、理に逆らえば天命が変わって滅びるという教えです。だから『命は一定ではない』と言ったのです。これを手本にして、今の時代も理に従えば天命にかないます。理とは、天地から人間・畜類・草木にまで行われる道が、それぞれに分かれて備わっている本体を、仮に名づけて理と言うのです。また文字は、天地開闢から言えば数億万年の後に作られはじめたものです。これを天が作り出す無数の物に当てはめても、万分の一にも足りません。この道理を知るべきです。文字にとらわれるのは、酒の搾りかすを味わうのと同じです。いろいろ理屈をこしらえても、」
解説

人生を、一行の式にしてみた。
志×積×時×憤÷(1+執)+命。古典から導いた式『人生の方程式』と、二十四の悩みに古典が答える『人生の教科書』(PDF)、師導の全機能1か月がセットで700円です。
本の中身を見るこの章句が説くこと
関連する章句
-
言志四録・言志録 第二百四十四条 測るべきの理に安んず世に君子有り小人有り。其の迭ひに相消長するは、数なり。数の然らざるを得ざる所以の者は、即ち理なり。理に測るべきの理有り、測るべからざるの理有り。之を要するに皆一理なり。人は当に測るべきの理に安んじて、以て測るべからざるの理を俟つべし。是れ人道なり、即ち天命なり。
-
『弁道』第十九則理は形無し。故に準無し。理学者流の、中庸を以て精微の極と為すが如き、其の言誠に然り。然れども其の人若し先づ先王の道を識りて、而る後に之を賛嘆して是れ中庸なりと謂はば、則ち可なり。若し其の人未だ嘗て先王の道を識らずして、独り己が意を以て中庸の理を択び、而して是れ先王の道と殊ならずと謂はば、則ち不可なり。又た道を訓じて当行の理と為すが如きも、亦た以て先王の道を賛嘆するならば、則ち可なり。若し独り己が意を以て所謂当行の理を事物に求めて、而して先王の道に合すとせば、則ち不可なり。是れ它無し。理は形無し、故に準無し。其の以て中庸と為し当行の理と為す者は、廼ち其の人の見る所のみ。見る所人人殊なり。人人各〻其の心を以て是れ中庸なり、是れ当行なりと謂ふ。是くの若きのみ。人間北に看て南と成す、亦た何の準とする所あらんや。又た天理人欲の説の如き、精微と謂ふべきのみ。然れども亦た準無し。辟へば両郷の人地界を争ふが如し。苟も官以て之を聴く無くんば、将た何をか準とせんや。故に先王孔子皆是の言無し。宋儒之を造る。無用の辨なり。之を要するに未だ堅白の帰を免れざるのみ。
-
『洗心洞箚記』卷下・第八條毛西河先生の詩に曰く、天門相望む楚江の秋、采石磯辺の旧酒楼、酔裏潮に乗じて纜を牽きて上る、疑はず江水の東に向かひて流るるをと。此の詩を観て、当に先生の理学に深きを知るべし。刀は木を切るに拙にして、鋸は木を切るに巧なり。鋸は人を殺すに難くして、刀は人を殺すに易し。故に器には各々用に適すること有り。用に適せざれば、則ち利器と雖も猶ほ鈍の如し。是の故に聖人は器として使ふなり。
-
『慎思録』巻之二大学或問に曰く、天下の物は、必ず各々其の然る所以の故と、其の当に然るべき所の則と有り。所謂理なり、と。愚謂ふ、当に然るべき所の者は、理の見易き者なり。所謂粗なり。然る所以の者は、理の見難き者なり。所謂精なり。夫れ理は一なり。其の表裏精粗有るを以て、二者の別有り。
-
『慎思録』巻之六雷の地に堕ちて形を成す者は、何ぞや。蓋し天に在りては象を成し、地に在りては形を成す。雷は是れ水火の激発する所、其の気大いに聚まり甚だ盛んにして、一時地に落つ。暴かに消散すること能はず、忽ち凝結して形を成す者なり。其の形を成すや、或は斧槌の形と為り、或は鳥獣の形と為る。蓋し既に地に落ちて形を成せば、則ち地に在るの品物と相類す。亦自然の理なり。久しければ則ち尽く消えて余り無し。怪しと為すべからざるなり。
-
『呻吟語』内篇・應務・理を貶せず、又た人を駭かさず君子の事に處するに真見有るも、遽かに行はざるなり。又た眾見を驗し、眾情を察し、諸を理に協へて協ひ、諸を眾情・眾見に協へて協へば、則ち斷じて以て必ず行ふ。果たして理は當然にして、眾情・眾見の協はざるや、又た委曲して以て吾が理を行ふ。既に理を貶せず、又た人を駭かさず。此れを之れ理術と謂ふ。噫、惟だ聖人のみ之を能くす。獵較の類是れなり。