都鄙問答 / 卷之二・或學者、商人ノ學問ヲ譏ノ段
或學者問曰、我モ學問ヲ好、汝ハ表ニ學問ヲ云立、敎ヲ弘ム、道ハ聖人ノ道ナレバ、替コト有ルマジ、然レドモ、宋儒ハ孔孟ノ心ニ違ヒ、老莊禪學ニ似テ、甚理ヲ高說、此故ニ略心得ガタキコト有リ、汝宋儒ノ註ハ用ユトモ、定メテ孔孟ノ本意ヲ弘ルト思ラン、汝ガ敎トスル所物語リ有レ、不得心ノ所ニ不審ヲイフベシ、我不審ヲ開カルレバ、是卽學問ナリ、先他ヲ導ルヽ所ハ、何レノ所ヲ至極トセラルヽコトゾ、
新字:或学者問曰、我モ学問ヲ好、汝ハ表ニ学問ヲ云立、教ヲ弘ム、道ハ聖人ノ道ナレバ、替コト有ルマジ、然レドモ、宋儒ハ孔孟ノ心ニ違ヒ、老荘禅学ニ似テ、甚理ヲ高説、此故ニ略心得ガタキコト有リ、汝宋儒ノ註ハ用ユトモ、定メテ孔孟ノ本意ヲ弘ルト思ラン、汝ガ教トスル所物語リ有レ、不得心ノ所ニ不審ヲイフベシ、我不審ヲ開カルレバ、是即学問ナリ、先他ヲ導ルヽ所ハ、何レノ所ヲ至極トセラルヽコトゾ、
書き下し
或る学者問うて曰く、我も学問を好む。汝は表に学問を云ひ立て、教を弘む。道は聖人の道なれば、替ること有るまじ。然れども、宋儒は孔孟の心に違ひ、老荘禅学に似て、甚だ理を高く説く。此の故に略心得がたきこと有り。汝宋儒の註は用ゆとも、定めて孔孟の本意を弘むると思ふらん。汝が教とする所、物語り有れ。得心せざる所に不審をいふべし。我が不審を開かるれば、是即ち学問なり。先づ他を導かるる所は、何れの所を至極とせらるることぞ。
現代語訳
ある学者が問いました。「わたしも学問を好む者です。あなたは表立って学問を掲げ、教えを広めておられる。道が聖人の道である以上、違いはないはずです。けれども宋の儒者たちは孔子・孟子の心から離れ、老荘や禅に似て、理をやたらと高く説きます。それで、ほとんど腑に落ちないところがあるのです。あなたは宋儒の注釈を使いつつも、きっと孔孟の本意を広めているつもりでしょう。あなたが何を教えているのか話してください。納得のいかないところは問いただします。わたしの疑問が解ければ、それこそが学問です。まず、人を導くにあたって、どこを学問の到達点としているのですか。」
解説
この章句が説くこと
関連する章句
-
人物志・體別夫れ學は材を成す所以なり、疏は情を推す所以なり。偏材の性は、移轉すべからず。
-
言志四録・南洲手抄学之を古訓に稽へ、問之を師友に質すは、人皆之を知る。学必ず之を躬に学び、問必ず諸を心に問ふは、其れ幾人有らんか。
-
言志四録・南洲手抄朝にして食はずば、昼にして饑う。少うして学ばずば、壮にして惑ふ。饑うるは猶忍ぶ可し、惑ふは奈何ともす可からず。
-
歎異抄・第十二条経釈を読み学せざる輩、往生不定の由のこと。この条、すこぶる不足言の義と言いつべし。 他力真実の旨を明かせる諸の聖教は、本願を信じ念仏を申さば仏に成る、そのほか何の学問かは往生の要なるべきや。 まことにこの理に迷えらん人は、いかにもいかにも学問して、本願の旨を知るべきなり。 経釈を読み学すといえども、聖教の本意を心得ざる条、もっとも不便のことなり。
-
論語・為政篇子曰く、異端を攻むるは、斯れ害のみ。
-
説苑・建本子思曰わく、学は才を益す所以なり、礪は刃を致す所以なり。吾嘗て幽処して深く思うも、学の速やかなるに若かず。吾嘗て跂ちて望むも、高きに登りて博く見るに若かず。故に風に順いて呼べば、声疾しきを加えざれども聞く者衆し。丘に登りて招けば、臂長きを加えざれども見る者遠し。故に魚は水に乗り、鳥は風に乗り、草木は時に乗る。