都鄙問答 / 卷之二・或人親へ仕之事ヲ問之段
曰、親ドモ方ヨリ、小遣金トシテ渡シ候ヘドモ、是ハ一ヶ月ニモ足リ申サズ候ユヘ、不足ノ所ハ、手代共ヲ賴ミ請取申候、然ドモ色々ノコトヲ申シ、思フ程渡シ申サヾルユヘ、又母ニ申シ、五兩三兩宛モラヒ、其上ノ不足ハ、此彼ニテ五兩十兩借用致シ候、然レドモ二三年ノ中ニ、親共隱居イタシ候ヘバ早速ニ濟シ申候、他人モ是ヲ存ズルユヘ、五十兩百兩借候コトハ、心易キコトニテ、何ノ世話モコレナク候、
新字:曰、親ドモ方ヨリ、小遣金トシテ渡シ候ヘドモ、是ハ一ヶ月ニモ足リ申サズ候ユヘ、不足ノ所ハ、手代共ヲ頼ミ請取申候、然ドモ色々ノコトヲ申シ、思フ程渡シ申サヾルユヘ、又母ニ申シ、五両三両宛モラヒ、其上ノ不足ハ、此彼ニテ五両十両借用致シ候、然レドモ二三年ノ中ニ、親共隠居イタシ候ヘバ早速ニ済シ申候、他人モ是ヲ存ズルユヘ、五十両百両借候コトハ、心易キコトニテ、何ノ世話モコレナク候、
書き下し
曰く、親ども方より、小遣金として渡し候へども、是は一ヶ月にも足り申さず候ゆへ、不足の所は、手代共を頼み請け取り申し候。然れども色々のことを申し、思ふ程渡し申さゞるゆへ、又母に申し、五両三両宛もらひ、其上の不足は、此彼にて五両十両借用致し候。然れども二三年の中に、親共隠居いたし候へば早速に済まし申し候。他人も是を存ずるゆへ、五十両百両借り候ことは、心易きことにて、何の世話もこれなく候。
現代語訳
若旦那「親から小遣いとして渡されますが、一か月分にも足りないので、足りない分は手代たちに頼んで受け取っています。けれども手代はいろいろ言って思うほど渡してくれないので、また母に頼んで五両、三両ともらい、それでも足りない分は、あちこちで五両、十両と借りています。それでも二、三年のうちに親が隠居すれば、すぐに返します。他人もそれを承知しているので、五十両、百両を借りるのは簡単で、何の苦労もありません。」
解説

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『都鄙問答』卷之二・或人親へ仕之事ヲ問之段曰く、いかさま是の不審は尤もに候。一事を挙げて云はゞ、芝居の顔見世毎に、桟敷二三軒も借り候へば、相応の雑用かゝり申し候。委細は申すに及ばず、思し召しの外入用これあり候。此味は、学知の及ぶ所にては此なく候。答ふ、芝居顔見世、一度に桟敷二三軒も借ると云へり。其客と云ふは、振舞の雑用のみならず、其上悉く金銀を出す客ならん。其金銀の出づる客を、二三軒の桟敷に一杯おかば、親の渡さるゝ小遣ひにて、足らざること聞えたり。いかさま世に稀なる薬袋なしとは、汝がことなり。家内の手代は、一分二分五厘三厘を争ひて商売をなし、汗を流し設くる金銀を、一度に遣ひ費すこと、家内の人の血肉を吸ひからすに同じ。殷の紂王の、比干が胸をさくに異ならず。
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『茶の本』第六章 花・西洋の社会における花の浪費西洋の社会における花の浪費は、東洋の宗匠の花の扱い方よりもさらに驚き入ったものである。舞踏室や宴会の席を飾るために日々切り取られ、翌日は投げ捨てられる花の数は、なかなか莫大なものに違いない。いっしょにつないだら一大陸を花輪で飾ることもできよう。このような、花の命を全く物とも思わぬことに比ぶれば、花の宗匠の罪は取るに足らないものである。彼は少なくとも自然の経済を重んじて、注意深い慮りをもってその犠牲者を選び、死後はその遺骸に敬意を表する。西洋においては、花を飾るのは富を表わす一時的美観の一部、すなわちその場の思いつきであるように思われる。これらの花は皆その騒ぎの済んだあとはどこへ行くのであろう。しおれた花が無情にも糞土の上に捨てられているのを見るほど、世にも哀れなものはない。
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『学問のすゝめ』七編・国民の職分を論ず・思案にも及ばず快く運上を払うべき世上の有様を見るに、普請に金を費やす者あり、美服美食に力を尽くす者あり、はなはだしきは酒色のために銭を棄てて身代を傾くる者もあり、これらの費えをもって運上の高に比較しなば、もとより同日の話にあらず、不筋の金なればこそ一銭をも惜しむべけれども、道理において出だすべきはずのみならず、これを出だして安きものを買うべき銭なれば、思案にも及ばず快く運上を払うべきなり。