都鄙問答 / 卷之二・或人親へ仕之事ヲ問之段
菑害竝至、雖有善者亦無如之何矣ト云リ、又親父モ、家業ノコトヲ云ルヽハ、禪門ガ云ハセルコトヽ思ヘルハ、汝大ニ過テリ、禪門ガコト理ニアタルユヘ、義ニ責メラレテ云ハルヽナリ、孟子曰、家必自害而後人是害ト、今汝モ職ヲ忘レ、身ヲ害コトヲナス、此コト得心ナクバ、家賣果テ後ニ思ヒシラルベシ、又汝ハ短氣ニテ、毎々兩親心遣セラルヽト聞、イカナルコトゾヤ、
新字:菑害並至、雖有善者亦無如之何矣ト云リ、又親父モ、家業ノコトヲ云ルヽハ、禅門ガ云ハセルコトヽ思ヘルハ、汝大ニ過テリ、禅門ガコト理ニアタルユヘ、義ニ責メラレテ云ハルヽナリ、孟子曰、家必自害而後人是害ト、今汝モ職ヲ忘レ、身ヲ害コトヲナス、此コト得心ナクバ、家売果テ後ニ思ヒシラルベシ、又汝ハ短気ニテ、毎々両親心遣セラルヽト聞、イカナルコトゾヤ、
書き下し
菑害並び至る。善き者有りと雖も亦之を如何ともする無しと云へり。又親父も、家業のことを云はるゝは、禅門が云はせることゝ思へるは、汝大に過てり。禅門がこと理にあたるゆへ、義に責められて云はるゝなり。孟子曰く、家必ず自ら害ひて而る後人是を害ふと。今汝も職を忘れ、身を害ふことをなす。此こと得心なくば、家売り果てて後に思ひしらるべし。又汝は短気にて、毎々両親心遣ひせらるゝと聞く。いかなることぞや。
現代語訳
災いと害がそろってやって来て、善い者がいてもどうしようもない』とあります。また、父親が家業のことを言うのを、禅門が言わせているのだと思うのは、あなたの大きな誤りです。禅門の言うことが道理にかなっているので、父親は義に責められて言っているのです。孟子は『家は必ず自分で損なってから、人に損なわれる』と言いました。今あなたも職分を忘れ、自分を損なうことをしています。このことを納得しなければ、家を売り払った後で思い知ることになるでしょう。また、あなたは短気で、たびたび両親に心配をかけていると聞きます。どういうことですか。」
解説
この章句が説くこと
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