都鄙問答 / 卷之二・或人親へ仕之事ヲ問之段
曰、我父母ヲ養ニ、衣服食物ナド、如何ヤウニイタシテモ、其善惡ヲ申スコトナケレバ、父母ノ志ヲ害スルコトハ有マジク存候、答、汝ハ、父母ノ體ヲ養ヲ孝行ト思フ故ニ、禪門ガ忠義有テイヘルコトヲ聞タガヘリ、我ハ志ヲ養フコトヲ云、我思ヒ當ル所ヲ以テ問ベシ、先汝ハ折々遊興ニ參ラレ、夜更歸ルヽト聞ケリ、マコトニ左樣ニ候ヤ、
新字:曰、我父母ヲ養ニ、衣服食物ナド、如何ヤウニイタシテモ、其善悪ヲ申スコトナケレバ、父母ノ志ヲ害スルコトハ有マジク存候、答、汝ハ、父母ノ体ヲ養ヲ孝行ト思フ故ニ、禅門ガ忠義有テイヘルコトヲ聞タガヘリ、我ハ志ヲ養フコトヲ云、我思ヒ当ル所ヲ以テ問ベシ、先汝ハ折々遊興ニ参ラレ、夜更帰ルヽト聞ケリ、マコトニ左様ニ候ヤ、
書き下し
曰く、我父母を養ふに、衣服食物など、如何やうにいたしても、其善悪を申すことなければ、父母の志を害することは有るまじく存じ候。答ふ、汝は、父母の体を養ふを孝行と思ふ故に、禅門が忠義有りていへることを聞きたがへり。我は志を養ふことを云ふ。我思ひ当る所を以て問ふべし。先づ汝は折々遊興に参られ、夜更けて帰らるゝと聞けり。まことに左様に候や。
現代語訳
若旦那「私が父母を養うのに、衣服や食べ物をどのようにしても、両親は良し悪しを言いません。ですから父母の志を損なうことはないと思います。」梅岩「あなたは父母の体を養うことを孝行だと思っているので、禅門が忠義から言ったことを聞き違えているのです。私は志を養うことを言っています。思い当たることから尋ねましょう。あなたはときどき遊興に出かけて、夜更けに帰ると聞きました。本当にそうですか。」
解説
若旦那は、衣食の世話で親から文句を言われないのだから志を損なっていないと考えます。梅岩は、それは体を養う孝にすぎないと退け、元手代の禅門の苦言も忠義から出たものだと言います。そして抽象論をやめ、夜遊びという具体的な行いに話を移します。本人の自己評価ではなく、日々の具体的な行動を一つずつ確かめていく問い方です。「不満を言われないからうまくいっている」と思い込んでいないか、という点検は、組織の人間関係でもよく必要になります。
この章句が説くこと
孝行忠義自己評価具体遊興
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