都鄙問答 / 卷之二・或人親へ仕之事ヲ問之段
或問曰、私祖父ノ時分ニ相勤候手代、只今ニテハ法體致シ居申候、コノ者每々私ヲ不孝者ノ樣ニ云ナシ、孝行イタセト、度々申シ候ヘドモ、私サノミ不孝ノ覺モコレナク候、分テ孝行トハ、如何樣ニ致シ然ルベク候ヤ、答、孝行ト云ハ、只志ヲ養ヲ本トス、昔曾子ト云ヘル人、ソノ父ヲ養フニ、必酒肉アリ、食シ終テ膳ヲ除去ントスルトキ、父ニ請曰、此餘者誰ニカ與ヘ申サント問ヒ、若又アマリ有ヤ否ヤト問ヘバ、必アリト答フ、親ノ意ニ、誰ニカ與ント思召サンコトヲ恐レ玉フ、如是志ヲ養ヒ親事ヲ、孝行トハ云、
新字:或問曰、私祖父ノ時分ニ相勤候手代、只今ニテハ法体致シ居申候、コノ者毎々私ヲ不孝者ノ様ニ云ナシ、孝行イタセト、度々申シ候ヘドモ、私サノミ不孝ノ覚モコレナク候、分テ孝行トハ、如何様ニ致シ然ルベク候ヤ、答、孝行ト云ハ、只志ヲ養ヲ本トス、昔曽子ト云ヘル人、ソノ父ヲ養フニ、必酒肉アリ、食シ終テ膳ヲ除去ントスルトキ、父ニ請曰、此余者誰ニカ与ヘ申サント問ヒ、若又アマリ有ヤ否ヤト問ヘバ、必アリト答フ、親ノ意ニ、誰ニカ与ント思召サンコトヲ恐レ玉フ、如是志ヲ養ヒ親事ヲ、孝行トハ云、
書き下し
或ひと問ひて曰く、私祖父の時分に相勤め候手代、只今にては法体致し居り申し候。この者毎々私を不孝者の様に云ひなし、孝行いたせと、度々申し候へども、私さのみ不孝の覚えもこれなく候。分けて孝行とは、如何様に致し然るべく候や。答ふ、孝行と云ふは、只志を養ふを本とす。昔曾子と云へる人、その父を養ふに、必ず酒肉あり。食し終りて膳を除き去らんとするとき、父に請ひて曰く、此の余りは誰にか与へ申さんと問ひ、若し又あまり有りや否やと問へば、必ずありと答ふ。親の意に、誰にか与へんと思し召さんことを恐れ玉ふ。是の如く志を養ひ親に事ふるを、孝行とは云ふ。
現代語訳
ある人が尋ねました。「祖父の代から勤めている手代が、今は出家して禅門となっています。この者がいつも私を不孝者のように言い、孝行しなさいと何度も言うのですが、私にはそれほど不孝をした覚えがありません。そもそも孝行とは、どうすればよいのでしょうか。」梅岩は答えました。「孝行とは、ただ親の志を養うことが根本です。昔、曾子という人は父を養うのに、必ず酒と肉を添えました。食べ終わって膳を下げるとき、父に『残りは誰に差し上げましょうか』と尋ね、父に『まだ余りはあるか』と聞かれれば、必ず『あります』と答えました。父が誰かに分けてやりたいと思う心を損なうまいとしたのです。このように志を養って親に仕えることを孝行というのです。」
解説
この章句が説くこと
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