都鄙問答 / 卷之二・禪僧俗家ノ殺生ヲ譏ノ段
其時ニコソ、出家ハ出家ニテ、殺生戒ヲタモツト知ラルベシ、俗家ハ俗家ニテ、目出度コトニ魚鳥ヲ用ヒテ、善ナルコトヲ知ラルベシ、何ヲカ疑ヒ何ヲカアヤシマン、俗ト出家ト混雜スル者ニアラズ、我心易コトヲ以テ喩、先四體ハ一ッナレドモ、首ハ上ニ有テ、足ノ代ニハナラズ、足ハ又手ノ代ニハ遣レズ、口ハ、體ヲ養フ入口ナレド、目ノ代リニナラズ、耳ハ鼻ノ代リニ香ヲキカズ、凡テ天地ノ形ハ照然タリ、因テ物々、此形替ニ因テ法アリ、其物ニ因テ法ハ替ルナリ、然ラバ何ゾ佛ノ法ヲ以テ、俗家ニ混雜シテ用ヒンヤ、心ヲ淸スニハ、佛法モ然ルベシ、身ニ行ヒ家ヲ齊、國天下ヲ治ル法ニハ、儒道ヲ以テ善トセン、海川ヲ渡ニハ、船ヲ以テ善トス、陸地ヲ行ニハ、馬駕籠ヲ以テ善トス、佛法ヲ以テ世法ヲ治メントスルハ、馬駕籠ニテ海川ヲワタルニ同ジ、五戒ヲ有身トシテ、政ヲ行ヒ、罪人ヲ殺スコトハ如何、又不殺バ政道立ベカラズ、刑罰ナクバ政ハ如何、汝ノイヘル所ハ、水火ヲ一致ニセントイフガ如シ、一致ニセバ、水ハ湯ト成リ火ハ消ベシ、水火ハ水火ト分レザレバ、爭世ヲ助ン、此理如何、
新字:其時ニコソ、出家ハ出家ニテ、殺生戒ヲタモツト知ラルベシ、俗家ハ俗家ニテ、目出度コトニ魚鳥ヲ用ヒテ、善ナルコトヲ知ラルベシ、何ヲカ疑ヒ何ヲカアヤシマン、俗ト出家ト混雑スル者ニアラズ、我心易コトヲ以テ喩、先四体ハ一ッナレドモ、首ハ上ニ有テ、足ノ代ニハナラズ、足ハ又手ノ代ニハ遣レズ、口ハ、体ヲ養フ入口ナレド、目ノ代リニナラズ、耳ハ鼻ノ代リニ香ヲキカズ、凡テ天地ノ形ハ照然タリ、因テ物々、此形替ニ因テ法アリ、其物ニ因テ法ハ替ルナリ、然ラバ何ゾ仏ノ法ヲ以テ、俗家ニ混雑シテ用ヒンヤ、心ヲ清スニハ、仏法モ然ルベシ、身ニ行ヒ家ヲ斉、国天下ヲ治ル法ニハ、儒道ヲ以テ善トセン、海川ヲ渡ニハ、船ヲ以テ善トス、陸地ヲ行ニハ、馬駕籠ヲ以テ善トス、仏法ヲ以テ世法ヲ治メントスルハ、馬駕籠ニテ海川ヲワタルニ同ジ、五戒ヲ有身トシテ、政ヲ行ヒ、罪人ヲ殺スコトハ如何、又不殺バ政道立ベカラズ、刑罰ナクバ政ハ如何、汝ノイヘル所ハ、水火ヲ一致ニセントイフガ如シ、一致ニセバ、水ハ湯ト成リ火ハ消ベシ、水火ハ水火ト分レザレバ、争世ヲ助ン、此理如何、
書き下し
其時にこそ、出家は出家にて、殺生戒をたもつと知らるべし。俗家は俗家にて、目出度ことに魚鳥を用ひて、善なることを知らるべし。何をか疑ひ何をかあやしまん。俗と出家と混雑する者にあらず。我心易ことを以て喩ん。先四体は一つなれども、首は上に有て、足の代にはならず、足は又手の代には遣れず、口は、体を養ふ入口なれど、目の代りにならず、耳は鼻の代りに香をきかず。凡て天地の形は照然たり。因て物々、此形替に因て法あり、其物に因て法は替るなり。然らば何ぞ仏の法を以て、俗家に混雑して用ひんや。心を清すには、仏法も然るべし。身に行ひ家を斉、国天下を治る法には、儒道を以て善とせん。海川を渡には、船を以て善とす。陸地を行には、馬駕籠を以て善とす。仏法を以て世法を治めんとするは、馬駕籠にて海川をわたるに同じ。五戒を有身として、政を行ひ、罪人を殺すことは如何。又殺さずば政道立べからず。刑罰なくば政は如何。汝のいへる所は、水火を一致にせんといふが如し。一致にせば、水は湯と成り火は消べし。水火は水火と分れざれば、争世を助ん。此理如何。
現代語訳
「そのときこそ、出家は出家として殺生戒を保つのだと分かるでしょう。俗家は俗家として、めでたいときに魚や鳥を用いて善いことだと分かるでしょう。何を疑い、何を怪しむことがありましょう。俗と出家は混ぜ合わせるものではありません。分かりやすいことでたとえましょう。四肢は一つの体ですが、首は上にあって足の代わりにはならず、足は手の代わりに使えず、口は体を養う入口ですが目の代わりにはならず、耳は鼻の代わりに香りを聞けません。およそ天地の形ははっきりしています。物々の形が違うことで法があり、その物によって法は替わるのです。それなら、どうして仏の法を俗家に混ぜて用いるでしょうか。心を清めるには仏法もよいでしょう。身に行い、家を斉え、国天下を治める法には儒道を善しとします。海や川を渡るには船がよく、陸を行くには馬や駕籠がよい。仏法で世の法を治めようとするのは、馬や駕籠で海や川を渡るのと同じです。五戒を保つ身で政治を行い、罪人を死刑にすることはどうしますか。殺さなければ政道は立たず、刑罰がなければ政治はどうなりますか。あなたの言うことは水と火を一つにしようとするようなものです。一つにすれば、水は湯になり火は消えるでしょう。水と火は水と火として分かれていてこそ、世を助けることができるのです。この理はどうですか。」
解説
この章句が説くこと
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『都鄙問答』卷之二・禪僧俗家ノ殺生ヲ譏ノ段曰、知らざるにはあらず。如何と云に、仏法は先五戒を有を第一とす。其中に殺生戒を重き戒とす。儒家にて云ば、五常の仁の如し。儒家に於て、仁を害者を善とすることありや。汝は儒を説といへども、いまだ仁の意を知らざれば、聖賢の本意に闇し。
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『都鄙問答』卷之三・性理問答ノ段天下の民、尽く孝弟を行ふゆゑに、及ぶ所広大にして、利益ある所なり。事を以て論ぜば、仏氏たる人、罪咎ある者なればとて、死罪に行ふべきや。罪咎ある者にても、弟子にせんと云ひて、上よりもらひ、助けたく思ふは出家なり。慈愛の心ばかりにて、聖人の法なくして政道を行はば、反つて事の乱れとならん。武帝の如き君あらば、異端と譏るも宜なる哉。曰く、手前には、儒道にて身を修むる志なれば、我が為に問ふにはあらず。然れども、上より下に至るまで、仏法を信仰のことなり。雑ふる時に害あることならば、上には用ひ給はざる筈なり。如何なることぞや。
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『都鄙問答』卷之二・禪僧俗家ノ殺生ヲ譏ノ段先我を離ことを修行すべし。此身このまゝにて、地水火風空なりと、一度見性する時は、我も世界の一物なり。其時に人と糠虫とはいづれが貴からん。至て賤き糠虫を助て、至て貴き人を殺ことはなるまじ。仏は無心にして、不可思議を体となす。其釈迦も、糠虫のある五穀を食し玉ふ。然れば貴者の為に、賤き者を殺すことは遁玉はず。殺生戒の源も如是。天理を知れば、戒は易く有つべし。神、仏、聖人は、いづれが師にも弟子にもあらず。皆心の欲する儘なれども、自天道なり。天理を知らずしては、何れの道にも合べからず。黙して工夫せらるべし。天道は万物を生じて、其生じたる者を以て、其生じたる物を養、其生じたる物が、其生じたるを喰ふ。
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