都鄙問答 / 卷之二・禪僧俗家ノ殺生ヲ譏ノ段
曰、知ラザルニハアラズ、如何ト云ニ、佛法ハ先五戒ヲ有ヲ第一トス、其中ニ殺生戒ヲ重キ戒トス、儒家ニテ云バ、五常ノ仁ノ如シ、儒家ニ於テ、仁ヲ害者ヲ善トスルコトアリヤ、汝ハ儒ヲ說トイヘドモ、イマダ仁ノ意ヲ知ラザレバ、聖賢ノ本意ニ闇シ、
新字:曰、知ラザルニハアラズ、如何ト云ニ、仏法ハ先五戒ヲ有ヲ第一トス、其中ニ殺生戒ヲ重キ戒トス、儒家ニテ云バ、五常ノ仁ノ如シ、儒家ニ於テ、仁ヲ害者ヲ善トスルコトアリヤ、汝ハ儒ヲ説トイヘドモ、イマダ仁ノ意ヲ知ラザレバ、聖賢ノ本意ニ闇シ、
書き下し
曰、知らざるにはあらず。如何と云に、仏法は先五戒を有を第一とす。其中に殺生戒を重き戒とす。儒家にて云ば、五常の仁の如し。儒家に於て、仁を害者を善とすることありや。汝は儒を説といへども、いまだ仁の意を知らざれば、聖賢の本意に闇し。
現代語訳
禅僧「知らないわけではありません。なぜなら、仏法はまず五戒を守ることを第一とし、その中でも殺生戒を重い戒とします。儒家で言えば五常の仁のようなものです。儒家で仁を害する者を善とすることがありますか。あなたは儒学を説いていても、まだ仁の意味を知らないから、聖賢の本意に暗いのです。」
解説
禅僧は反論し、殺生戒は儒学の五常(仁・義・礼・智・信)のうちの仁にあたる、仁を害することを善とする儒者がいるかと逆に梅岩を責めます。仏教の五戒(不殺生・不偸盗・不邪淫・不妄語・不飲酒)と儒教の五常を対応させる議論は、中国の三教一致論以来よく見られるものです。禅僧の議論は一見筋が通っており、梅岩が仁をどう理解しているかが試される場面です。相手の最も強い論点を正面から受けて立つのが、問答形式の面白さです。

人生を、一行の式にしてみた。
志×積×時×憤÷(1+執)+命。古典から導いた式『人生の方程式』と、二十四の悩みに古典が答える『人生の教科書』(PDF)、師導の全機能1か月がセットで700円です。
本の中身を見るこの章句が説くこと
五戒五常仁殺生仏法
関連する章句
-
『五常訓』巻之一・総論一人に仁義あるは、天に陰陽あるが如し。天に陰陽なければ、造化の理ほろびて、四の時行はれず、万物生ぜずして、天地の道立たず。人に仁義なければ、心の徳ほろび、五倫の道行はれずして、人道立たず。禽獣と何ぞ異ならんや。故に易に曰、天の道を立てて陰と陽といふ。人の道を立てて、仁と義といふ。
-
『五常訓』巻之二・仁之上一樊遅仁を問ふ、子曰く人を愛すと。仁は愛をつかさどる。故に仁を行ふの道は、人を愛するにあり。此人の字は、五倫をさして見るべし。人を愛するは、即人倫を愛する也。人の道は仁を行ふにあり。仁を行ふの道は人を愛するにあり。人を愛せんとならば、まづ心の私を去り、人我のへだて無くして、あはれみの心をおしひろむるにあり。愛人を以て仁を説き給ふ。誠に切実にして、近き教なり。
-
『武士道』第五章 仁・愛不忍の心・仁は徳の王なり武士道は愛敬、寛仁、同情、憐憫を以て、徳の最なるものとし、人の霊魂の賦性の最も高尚なるものなりとす。仁は二様の意義に於て王者の徳なり。即ち高尚なる精神に伴ふ多くの資禀の冠たるのみならず、又た特に王道に契合するが故に徳の王なり。慈悲の王者に於けるは、冠冕よりも貴く、又た権威に勝るとは、吾人はシェイクスピアを俟ちて始めて之を知るものに非らず。ただ宇内諸人と共に、彼より初めて此名言を聞くを得たるのみ。孔孟しばしば、王者の一日も仁勿るべからず、『仁なる者は人なり』なることを明かにせり。孔子曰く、『国君、仁を好めば天下に敵無し』と。又た曰く、『仁は天の尊爵なり、人の安宅なり』と。又た『君、仁なれば仁ならざるは莫く、君、義なれば義ならざるは莫し』とも曰へり。而して孟子の之を説く、更に詳なるものあり。
-
『武士道』第五章 仁・愛不忍の心・最も剛毅なる者は最も柔和なり『最も剛毅なる者は、最も柔和なり。最も愛ある者は、最も勇敢なり』とは、古今東西の通義なり。武士のなさけとは、人心に妙音を伝へて、高尚なる情感を覚醒するの語なりき。武夫の慈悲の質たる、他者の慈悲と其類を殊にするには非らず。されど仁の武士に於けるは、漠然たる感情より発するものに非らずして、其心に正義を忘れざるにあり。又た其仁は、ただに情緒の発現たるのみに非らずして、而も其後へには生殺与奪の権を有し、恩に兼ぬるに威を以てす。経済学者が、需要に有効無効の別ありと云ふが如く、武士の慈悲は即ち有効なるものと称すべくして、之を受くるものに対して、或は利益を生じ、或は損害を来たすの力を有せり。武士は獣力を栄とし、之を用ふるの特権に誇りたりと雖も、又た深く孟子が仁の力を説くに服するものなりき。
-
司馬法・仁本正、意を獲ざれば則ち権(けん)す。権は戦より出で、仁より出でざるなり。是の故に人を殺して人を安んぜば、之を殺すも可なり。其の国を攻むるも、其の民を愛せば、之を攻むるも可なり。
-
『文武訓』文訓上之末一人の文字を見ば、よきことは褒め、さほどなきは、かげにてもそしるべからず。人のつとめて作れる文字を、一言にたやすくそしりおとさんもなさけなし。作れる人、そしりを聞かば、本意なく思ひうらみいかるべし。是をそしるは不仁無礼にて、道理にそむくのみならず、人のうらみを受けて悪しし。又あしき文詩を褒むるも、いつはりにて本意にあらず。只其よしあしを云はざらんには如かじ。