都鄙問答 / 卷之二・禪僧俗家ノ殺生ヲ譏ノ段
或禪僧來テ云、今日去方ヘ參リシニ、子息ノ婚禮有トテ、魚類等ヲツカヒ、生物ヲ殺シ、殺生戒ヲ破、目出度コトニ物ノ命ヲ取ル、實ニ俗家ハアサマシキコトヲ爲シ、是レヲ嘉儀トスル、哀哉ト云リ、答、汝佛法ヲ學ブトイヘドモ、小乘ヲ知テ、佛ノ大乘ヲ知ラザルハ惜哉、
新字:或禅僧来テ云、今日去方ヘ参リシニ、子息ノ婚礼有トテ、魚類等ヲツカヒ、生物ヲ殺シ、殺生戒ヲ破、目出度コトニ物ノ命ヲ取ル、実ニ俗家ハアサマシキコトヲ為シ、是レヲ嘉儀トスル、哀哉ト云リ、答、汝仏法ヲ学ブトイヘドモ、小乗ヲ知テ、仏ノ大乗ヲ知ラザルハ惜哉、
書き下し
或禅僧来て云、今日去方へ参りしに、子息の婚礼有とて、魚類等をつかひ、生物を殺し、殺生戒を破、目出度ことに物の命を取る。実に俗家はあさましきことを為し、是れを嘉儀とする、哀哉と云り。答、汝仏法を学ぶといへども、小乗を知て、仏の大乗を知らざるは惜哉。
現代語訳
ある禅僧が来て言いました。「今日ある家へ参ったところ、息子の婚礼だといって魚などを使い、生き物を殺して殺生戒を破り、めでたい席で物の命を取っていました。本当に俗家はあさましいことをして、それを祝いごととしている。哀れなことです。」梅岩「あなたは仏法を学んでいながら、小乗を知って仏の大乗を知らないのは惜しいことです。」
解説
巻之二第二段「禪僧俗家ノ殺生ヲ譏ノ段」の書き出しです。禅僧は、婚礼の祝い膳に魚を使う在家の人々を、殺生戒を破る浅ましい行いだと嘆きます。梅岩は即座に、それは小乗の見方で大乗を知らないと切り返します。小乗・大乗は、戒律を形として守ることにこだわる立場と、衆生とともに生きる広い立場を対比する言葉として使われています。自分の規範を他人の生活にそのまま当てはめて裁く態度への批判であり、専門家が素人を見下す構図にも通じます。
この章句が説くこと
殺生戒律禅僧大乗婚礼
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