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都鄙問答 / 卷之二・鬼神ヲ遠ト云事ヲ問ノ段

書ノ無コソ勝ラン、古ヨリ神國ノ相ニ、儒道ヲ用ヒ玉フコトヲ知ルベシ、我朝ノ神モ、非禮非義ノ賂ヲ好セ玉フベキヤ、淸淨潔白ノ水上ナル故ニ、神明トマウシ奉ル、凡テ神信仰スル者ハ、心ヲ淸淨ニスル爲ナリ、然ルニ種々樣々ノ非禮非義ノ願ヒヲ以テ、朝暮ニ社參シ、色々ノ賂ヲ以テ神ニ祈ル、コレ不淨ヲ以テ、神ノ淸淨ヲ無スル者ナレバ、コレゾ實ノ罪人ニテ、神罰ヲ受ベシ、子曰、獲罪於天無所禱也ト、聖人ハ、天命ノ外ニ望コトハ、皆罪ナリトノ玉フ、願ト云ハ、多ハ手前ノ勝手ヅクナリ、手前ノ勝手ヅクヲスレバ、他ノ爲ニ惡シ、他ヲ苦ルハ、大ナル罪ナリ、罪人トナッテ、爭神ノ御心ニ合ベキヤ、萬民ニ隔ナキコソ神ナルベケレ、

新字:書ノ無コソ勝ラン、古ヨリ神国ノ相ニ、儒道ヲ用ヒ玉フコトヲ知ルベシ、我朝ノ神モ、非礼非義ノ賂ヲ好セ玉フベキヤ、清浄潔白ノ水上ナル故ニ、神明トマウシ奉ル、凡テ神信仰スル者ハ、心ヲ清浄ニスル為ナリ、然ルニ種々様々ノ非礼非義ノ願ヒヲ以テ、朝暮ニ社参シ、色々ノ賂ヲ以テ神ニ祈ル、コレ不浄ヲ以テ、神ノ清浄ヲ無スル者ナレバ、コレゾ実ノ罪人ニテ、神罰ヲ受ベシ、子曰、獲罪於天無所祷也ト、聖人ハ、天命ノ外ニ望コトハ、皆罪ナリトノ玉フ、願ト云ハ、多ハ手前ノ勝手ヅクナリ、手前ノ勝手ヅクヲスレバ、他ノ為ニ悪シ、他ヲ苦ルハ、大ナル罪ナリ、罪人トナッテ、争神ノ御心ニ合ベキヤ、万民ニ隔ナキコソ神ナルベケレ、

書き下し

書の無こそ勝らん。古より神国の相に、儒道を用ひ玉ふことを知るべし。我朝の神も、非礼非義の賂を好せ玉ふべきや。清浄潔白の水上なる故に、神明とまうし奉る。凡て神信仰する者は、心を清浄にする為なり。然るに種々様々の非礼非義の願ひを以て、朝暮に社参し、色々の賂を以て神に祈る。これ不浄を以て、神の清浄を無する者なれば、これぞ実の罪人にて、神罰を受べし。子曰、罪を天に獲れば祷る所無きなりと。聖人は、天命の外に望ことは、皆罪なりとのたまふ。願と云は、多は手前の勝手づくなり。手前の勝手づくをすれば、他の為に悪し。他を苦るは、大なる罪なり。罪人となつて、争神の御心に合べきや。万民に隔なきこそ神なるべけれ。

現代語訳

「書などないほうがましです。昔から神国の助けとして儒道を用いてこられたことを知るべきです。わが国の神も、非礼・非義の賄賂を好まれるでしょうか。清浄潔白の水源であるから神明と申し上げるのです。およそ神を信仰するのは、心を清浄にするためです。ところが種々さまざまの非礼・非義の願いを持って朝晩に参詣し、いろいろな賄賂で神に祈る。これは不浄によって神の清浄をないがしろにするのですから、これこそ本当の罪人で、神罰を受けるでしょう。孔子は『罪を天に獲れば祷る所無し』とおっしゃいました。聖人は、天命の外に望むことはみな罪だとおっしゃるのです。願いというのは多くは自分の勝手の都合です。自分の都合を通せば他人のためには悪い。他人を苦しめるのは大きな罪です。罪人となって、どうして神の御心にかなうでしょうか。万民に分け隔てのないのが神でしょう。」

解説

神を信仰するのは心を清浄にするためであり、利益を得るためではない、と梅岩は言い切ります。引用は『論語』八佾篇の「罪を天に獲れば、祷る所無きなり」。さらに「願いの多くは手前の勝手づく」という観察は鋭く、自分に都合のよい願いは、たいてい誰かに不利益を押しつけるものだと指摘します。商売繁盛を祈ることが競争相手の没落を願うことになっていないか。神は万民に分け隔てがないという結びは、公平さこそ信仰の中心だという、商人の倫理にも通じる考えです。

この章句が説くこと

天命清浄願い公平

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