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都鄙問答 / 卷之一・播州ノ人學問ノ事ヲ問ノ段

此決定ハ、信心堅固ニシテ致ス所ナリ、親ヨリ傳テ、子ニ讓ルコト能ハズ、師モ弟子ニ傳コトアタハズ、我レ知レバ師ノ肯所ナリ、コヽガ孔子孟子モ、言句ノ絕タル所ナリ、然ドモ天何言哉、四時行焉百物生トノ玉ハ、道ハ隱ルヽ所ニアラズ、加樣ニ說顯シ玉ヘドモ、此ノ四時行焉百物生トノ玉フハ、如何ナルコトゾト、心ヲ附ル人少ナリ、莊子ニ、所謂聖人ノ意ヲ知ラズシテ書ヲヨムハ、糟粕ニシテ、實ノ味ハナク、皆糟ナリト云ヘリ、實ノ味ハ、桶大工ガ輪ヲ斷ルゴトク、徐則甘而不固、疾則苦而不入、不徐不疾、得之手應之心、口不能言ト云モ面白シ、心ヲ知ラズシテ法ヲ說クハ、桶大工ノコトヲ傳聞テ、輪ヲ斷ガ如シ、心ニ得ザレバ、桶ト成テ、

新字:此決定ハ、信心堅固ニシテ致ス所ナリ、親ヨリ伝テ、子ニ譲ルコト能ハズ、師モ弟子ニ伝コトアタハズ、我レ知レバ師ノ肯所ナリ、コヽガ孔子孟子モ、言句ノ絶タル所ナリ、然ドモ天何言哉、四時行焉百物生トノ玉ハ、道ハ隠ルヽ所ニアラズ、加様ニ説顕シ玉ヘドモ、此ノ四時行焉百物生トノ玉フハ、如何ナルコトゾト、心ヲ附ル人少ナリ、荘子ニ、所謂聖人ノ意ヲ知ラズシテ書ヲヨムハ、糟粕ニシテ、実ノ味ハナク、皆糟ナリト云ヘリ、実ノ味ハ、桶大工ガ輪ヲ断ルゴトク、徐則甘而不固、疾則苦而不入、不徐不疾、得之手応之心、口不能言ト云モ面白シ、心ヲ知ラズシテ法ヲ説クハ、桶大工ノコトヲ伝聞テ、輪ヲ断ガ如シ、心ニ得ザレバ、桶ト成テ、

書き下し

此決定は、信心堅固にして致す所なり。親より伝て、子に譲ること能はず、師も弟子に伝ことあたはず。我れ知れば師の肯所なり。こゝが孔子孟子も、言句の絶たる所なり。然ども天何言哉、四時行焉百物生とのたまはゞ、道は隠るゝ所にあらず。加様に説顕し玉へども、此の四時行焉百物生とのたまふは、如何なることぞと、心を附る人少なり。荘子に、所謂聖人の意を知らずして書をよむは、糟粕にして、実の味はなく、皆糟なりと云へり。実の味は、桶大工が輪を断るごとく、徐則甘而不固、疾則苦而不入、不徐不疾、得之手応之心、口不能言と云も面白し。心を知らずして法を説くは、桶大工のことを伝聞て、輪を断が如し。心に得ざれば、桶と成て、

現代語訳

「この決定は、固い信心によって成し遂げるものです。親から子へ譲り渡すことはできず、師も弟子に伝えることはできません。自分で知れば、師がそれを認めるのです。ここが孔子や孟子も言葉が尽きたところです。けれども『天何をか言わんや、四時行われ百物生ず』とおっしゃれば、道は隠れたものではありません。このように説き明かされているのに、この言葉がどういうことかと気をつける人は少ないのです。荘子は、聖人の意を知らずに書を読むのは糟粕で、本当の味はなく、みな酒の搾りかすだと言いました。本当の味は、桶大工が輪を削るように、『徐なれば甘くして固からず、疾なれば苦しくして入らず、徐ならず疾ならず、之を手に得て之を心に応ず、口言うこと能わず』というのも面白いものです。心を知らずに法を説くのは、桶大工の話を伝え聞いて輪を削るようなものです。心に得ていなければ、桶になっても、」

解説

会得は親子でも師弟でも譲り渡せない、という教育論です。『論語』陽貨篇の「天何をか言わんや、四時行われ百物生ず」を引き、道は隠れていないのに気づく人が少ないと言います。続く譬えは『荘子』天道篇の輪扁(車輪作りの職人)の話で、梅岩はそれを日本の桶大工に置き換えています。ゆっくり削ればゆるく、急げば入らない。その加減は手で覚え心で応じるもので、口では伝えられない。マニュアルで伝わらない熟練の勘や、職人の技能伝承の難しさを語った古典として、今も読める一節です。

この章句が説くこと

会得技能荘子輪扁伝承

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