都鄙問答 / 卷之一・播州ノ人學問ノ事ヲ問ノ段
此方ヨリ出テ仕ル者ニハ非ズトノ玉フコトナリ、此程明ニ說玉フコトヲ知ラズシテ、論語ヲ讀ムト云ルベキヤ、總テ仕官トナル者ハ、君ヲ正シ國ヲ治ル爲ナリ、少シニテモ、祿ヲ求心ニテ仕ル者ハ、必ズ得タル祿ヲ、失コトヲ恐モノナリ、祿ニ心有テ、君ヲ諫正コトハ、思モヨラヌコトナリ、假令何程ノ書ヲ讀、世ニ博學ト召ルヽ共、君ヲ不義ニ陷イルヽ者ヲ、學者ト云ルベキヤ、旣冉求季氏ニ仕、柔弱ナル所ヨリ、季氏ヲ諫事アタハズ、却テ附益コトヲナス、コレニ依テ孔子冉求ヲ深ク責玉ヘリ、若又祿ニ望有者、君ニ仕ヘナバ、我身ヲ害恥ヲ受ベシ、扠又汝ハ、儒者タル人、聖人ノ心ヲ知ラズトイフハ、如何ナルコトゾ、心ハ身ノ主ナリ、且儒ハ濡ト云テ、
新字:此方ヨリ出テ仕ル者ニハ非ズトノ玉フコトナリ、此程明ニ説玉フコトヲ知ラズシテ、論語ヲ読ムト云ルベキヤ、総テ仕官トナル者ハ、君ヲ正シ国ヲ治ル為ナリ、少シニテモ、禄ヲ求心ニテ仕ル者ハ、必ズ得タル禄ヲ、失コトヲ恐モノナリ、禄ニ心有テ、君ヲ諫正コトハ、思モヨラヌコトナリ、仮令何程ノ書ヲ読、世ニ博学ト召ルヽ共、君ヲ不義ニ陥イルヽ者ヲ、学者ト云ルベキヤ、既冉求季氏ニ仕、柔弱ナル所ヨリ、季氏ヲ諫事アタハズ、却テ附益コトヲナス、コレニ依テ孔子冉求ヲ深ク責玉ヘリ、若又禄ニ望有者、君ニ仕ヘナバ、我身ヲ害恥ヲ受ベシ、扠又汝ハ、儒者タル人、聖人ノ心ヲ知ラズトイフハ、如何ナルコトゾ、心ハ身ノ主ナリ、且儒ハ濡ト云テ、
書き下し
此方より出て仕る者には非ずとのたまふことなり。此程明に説玉ふことを知らずして、論語を読むと云るべきや。総て仕官となる者は、君を正し国を治る為なり。少しにても、禄を求心にて仕る者は、必ず得たる禄を、失ことを恐ものなり。禄に心有て、君を諫正ことは、思もよらぬことなり。仮令何程の書を読、世に博学と召るゝ共、君を不義に陥いるゝ者を、学者と云るべきや。既冉求季氏に仕、柔弱なる所より、季氏を諫事あたはず、却て附益ことをなす。これに依て孔子冉求を深く責玉へり。若又禄に望有者、君に仕へなば、我身を害恥を受べし。扠又汝は、儒者たる人、聖人の心を知らずといふは、如何なることぞ。心は身の主なり。且儒は濡と云て、
現代語訳
「自分から出ていって仕えるものではない、とおっしゃったのです。これほど明らかに説かれていることを知らずに、『論語』を読んだと言えるでしょうか。およそ仕官するのは、主君を正し国を治めるためです。少しでも俸禄を求める心で仕える者は、得た俸禄を失うことを必ず恐れます。俸禄に心があって主君を諫めるなど、思いもよらないことです。どれほど書を読んで博学と呼ばれても、主君を不義に陥れる者を学者と言えるでしょうか。現に冉求は季氏に仕えましたが、気弱なために季氏を諫められず、かえって季氏の財を増やす手助けをしました。そのため孔子は冉求を厳しく責められました。俸禄を望む者が主君に仕えれば、わが身を損ない恥を受けるでしょう。さてまた、あなたが『儒者が聖人の心を知らない』というのはどういうことでしょう。心は身の主です。また儒は濡と同じで、」
解説
この章句が説くこと
関連する章句
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『韓非子』初見秦第一然り而して兵甲頓れ、士民病み、蓄積索き、田疇荒れ、囷倉虚しく、四隣の諸侯服せず、霸王の名成らず。此れ異なる故無し、其の謀臣皆な其の忠を尽くさざればなり。
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『不動智神妙録』諫言 其一 忠を尽くす内々存寄候事、御諫可申入候由、愚案如何に存候得共、折節幸と存じ及見候処あらまし書付進し申候、貴殿事、兵法に於て今古無双の達人故、当時官位俸禄世の聞えも美々敷候、此大厚恩を寐ても覚ても忘るゝことなく、旦夕恩を報し忠を尽さんことをのみ思ひたまふべし、
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『不動智神妙録』諫言 其一 忠を尽くす忠を尽くすといふは、先づ我心を正くし身を治め、毛頭君に二心なく、人を恨み咎めず、日々に出仕怠らず、一家に於ては父母に能く孝を尽し、夫婦の間少しも猥になく、礼義正しく妾婦を愛せず、色の道を絶ち、父母の間おごそかに道を以てし、下を使ふに私のへだてなく、善人を用ゐ近付け、我足らざる所を諫め、御国の政を正敷し、不善人を遠ざくる様にするときは、善人は日々に進み、不善人もおのづから主人の善を好む所に化せられ、悪を去り善に遷るなり、
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『不動智神妙録』諫言 其二 好む所の病然れば幾千人ありとても、自然の時、主人の用に立つ物は一人も不可有之、彼の一旦気に入りたる無智若輩の悪人は、元より心正しからざる者故、事に臨んて一命を捨てんと思ふ事、努々不可有、心正しからさるものゝ主の用に立ちたる事は、往昔より不承及ところなり、貴殿の弟子を御取立て被成にも、箇様の事有之由、苦々敷存候、是れ皆一片の数奇好む所より其病にひかれ、悪に落入るを知らざるなり、人は知らぬと思へども微より明かなるなしとて、我心に知れは、天地鬼神万民も知るなり、如是して国を保つ、誠に危き事にあらずや、然らば大不忠なりとこそ存候へ、
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『甲陽軍鑑』品第十六其ごとく大将にてこそなく共、加藤駿河はわが旗本の武者奉行を申付れば、侍大将よりも武道のくらゐはましなり、其理は侍大将には様により若き者もあれども、武者奉行には武と忠と功と年比と分別工案ありて、信玄にも指引をいたし諫むるほどの者をゑらびて仕る故、侍大将にも憶意の気味はましたりとはここをもつてなり、箇様にゑらばれて旗本の武者奉行をいたす駿河守が子が、いかに末子たりといふとも、おのれが武道に自慢して世間の者を目八分にみる様なる者と見および、
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貞観政要・忠義貞観十一年、太宗侍臣に謂いて曰く、「狄人、衛の懿公を殺し、尽く其の肉を食らい、独り其の肝を留む。懿公の臣弘演、天を呼びて大いに哭し、自ら其の肝を出して、懿公の肝を其の腹中に内(い)る。今、此の人を覓(もと)むるも、恐らくは得べからず」と。特進魏徴対えて曰く、「昔、豫譲は智伯の為に讎に報いんとし、趙襄子を刺さんと欲す。襄子執えて之を獲、之に謂いて曰く、『子は昔、范・中行氏に事えしか。智伯は尽く之を滅ぼす。子は乃ち質を智伯に委ね、為に讎に報いず。今、即ち智伯の為に讎に報ゆ。何ぞや』と。譲答えて曰く、『臣は昔、范・中行に事う。范・中行は衆人を以て我に遇す。我は衆人を以て之に報ゆ。智伯は国士を以て我に遇す。我は国士を以て之に報ゆ』と。君の之を礼するに在るのみ。亦た何ぞ人無しと謂わんや」と。