都鄙問答 / 卷之一・播州ノ人學問ノ事ヲ問ノ段
答、汝左樣ノコトハ云ザルモノゾヤ、子貢謂子禽曰、君子一言以爲知、一言以爲不知言不可不愼ト、凡諸方ニ、儒者ノ數、何程有コトハ知ラザレドモ、論語ヲ讀ザル儒者有ベカラズ、論語ノ序ニ、孔子及長爲委吏、料量平ナリト、孔子大聖ノ德有テ、薪蒭材木ナドヲ取聚ル役目ヲ掌リ玉ヘドモ、不足ニ思召コトナキユヘ、料量平カニ、勘定合リ、此則天命ニ任セ玉フ所ナリ、又爲司職吏、其時ニハ役目ナレバ、牛羊ヲ畜玉フ、莊長トサカンニ長ジ、蕃生バカリナリ、此時ノ天命ニ安ジ玉フ、コレヲ法トシテ、士農工商共ニ、我家業ニテ足コトヲ知ルベシ、論語ヲ讀者、カホドノコトヲ知ラザランヤ、凡テ道ヲ知ルト云ハ、此身コノマヽニテ、
新字:答、汝左様ノコトハ云ザルモノゾヤ、子貢謂子禽曰、君子一言以為知、一言以為不知言不可不慎ト、凡諸方ニ、儒者ノ数、何程有コトハ知ラザレドモ、論語ヲ読ザル儒者有ベカラズ、論語ノ序ニ、孔子及長為委吏、料量平ナリト、孔子大聖ノ徳有テ、薪蒭材木ナドヲ取聚ル役目ヲ掌リ玉ヘドモ、不足ニ思召コトナキユヘ、料量平カニ、勘定合リ、此則天命ニ任セ玉フ所ナリ、又為司職吏、其時ニハ役目ナレバ、牛羊ヲ畜玉フ、荘長トサカンニ長ジ、蕃生バカリナリ、此時ノ天命ニ安ジ玉フ、コレヲ法トシテ、士農工商共ニ、我家業ニテ足コトヲ知ルベシ、論語ヲ読者、カホドノコトヲ知ラザランヤ、凡テ道ヲ知ルト云ハ、此身コノマヽニテ、
書き下し
答、汝左様のことは云ざるものぞや。子貢謂子禽曰、君子一言以為知、一言以為不知、言不可不慎と。凡諸方に、儒者の数、何程有ことは知らざれども、論語を読ざる儒者有べからず。論語の序に、孔子及長為委吏、料量平なりと。孔子大聖の徳有て、薪蒭材木などを取聚る役目を掌り玉へども、不足に思召ことなきゆへ、料量平かに、勘定合り。此則天命に任せ玉ふ所なり。又為司職吏、其時には役目なれば、牛羊を畜玉ふ。荘長とさかんに長じ、蕃生ばかりなり。此時の天命に安じ玉ふ。これを法として、士農工商共に、我家業にて足ことを知るべし。論語を読者、かほどのことを知らざらんや。凡て道を知ると云は、此身このまゝにて、
現代語訳
梅岩「そういうことは言わないものです。子貢は子禽に『君子は一言で知者とされ、一言で愚か者とされる。言葉は慎まねばならない』と言いました。世間に儒者がどれほどいるかは知りませんが、『論語』を読まない儒者はいないはずです。『論語』の序には、孔子は成長して委吏(倉庫番)となり、計量が公平だったとあります。孔子は大聖人の徳がありながら、薪や飼い葉や材木を集める役目を務め、それを不足に思わなかったので、計量は公平で勘定も合いました。これは天命に任せたということです。また司職吏(家畜係)となったときは、役目として牛や羊を飼い、よく育ち、よく増えました。そのときの天命に安んじたのです。これを手本として、士農工商みな自分の家業で足りることを知るべきです。『論語』を読む者が、これくらいのことを知らないはずがありません。およそ道を知るというのは、この身のままで、」
解説

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関連する章句
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『弁名』智命を知るとは、天命を知るなり。天の命ずる所何如を知るを謂ふなり。先王の道は、天に本づき、天命を奉じて以て之を行ふ。君子の道を学ぶも、亦た以て天職を奉ぜんと欲するのみ。我道を学び徳を成して爵至らず、是れ天我に命じて以て道を人に伝へしむるなり。君子は教学を以て事と為し、人知らずして慍らず、是れ之を命を知ると謂ふ。凡そ人の力は、及ぶ有り、及ばざる有り。強ひて其の力の及ばざる所の者を求むるは、不智の大なる者なり。故に曰く、「命を知らざれば、以て君子為ること無きなり」と。後儒或いは其の然る所以の理を知ると曰ひ、或いは吉凶禍福を知ると曰ひ、或いは名利得失に毫も心を動かさずと曰ふ。皆道を知らざる者の言のみ。
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『翁問答』上卷之末かの病人悪寒発熱の病勢おとろへ本服しぬれば、常の人の如くに暑き寒さをおぼゆるものなり、その如く運命のいきをひおとろへて其分数極まりぬれば、必らず悪人は六極のがれ難く、善人は五福をうくるものなり、しかるゆへに盗跖は無病息災に難なくながいきして暮しぬる様なれども、おのれと六極の剛悪におちいりて、至誠無息の神理をうしなひ、万世不朽の悪名をながしぬれば、六極の報応さだかならずやまた顔子は箪瓢陋巷不幸短命なれども、五福の攸好徳をうけ、真楽の介福めでたく長在不滅の神理あきらかにして、万世きはまりなく、公爵の追贈四配の祭祀をうけ給ひぬれば、五福の嚮命あきらかならずや運命のいきおひによつて一旦見かけは福善禍淫の常にたがふやうなれども、畢竟しんじつの端的終には天命本然の常にたちかへるものなり、
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『都鄙問答』卷之四・或人主人行狀ノ是非ヲ問ノ段答ふ、其の一家一門の議は、皆々法を知らざるゆへなり。道有りて聚むる金銀は天命なり。天の賜ふ財を舎てず、天の命にそむかず、約を以て礼の本を守れり。又道を行ふ者は、他のそしりは、有るならひなり。孟子曰く、傷むこと無し、士は茲の多口に憎まる。詩に云ふ、憂心悄悄たり、群小に慍まると。孔子なりと。聖人の行ひは、小人の行ひに違へる故、衆の口の為に、孔子も譏りに逢ひ玉へり。又美食を好まざるは、身の分限なり。二汁五菜七菜などと云ふ重き料理は、下々のことにあらず。御上より品を分けて見ば、汝の親方の料理は、今少し奢にても有るべし。それを一門衆は、箸を取り初むる計りとは、分を知らざる奢る者なり。先づ飢饉年には、飯米の調へ代を借り、汝の親方の恵みにより飢ゑに及ばず、それを忘れ、身の分を知らず、
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尚書・康誥惟れ命は常には于いてせず。
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『初学訓』巻之三一人力を以て天命を得る道あり。士は、君に仕へてよく勤むれば、君の寵を得て、禄あつし。農は、田をつとめてよく作れば、秋のなりはひ多し。工商は、其家業をよくつとむれば富む。およそ、四民ともに、よくつとむれば家富む。古語にも、人生はつとめにあり、つとむれば乏しからず、といへり。又倹約を行ひて、濫りに財を費さざれば、よく家をたもちて貧しからず。又養生をよくつつしめば、命ながし。是皆、人力を以て天命を得る理あり。
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『大和俗訓』巻之四・心術下一天命は天のくだす所、人のうくる所なり。命は猶令のごとしとて、下知の意なり。天よりくだる故に天命といふ。天命に常あり変あり。善を行へば福あり、悪をすれば禍あるは常なり。善人に禍あり。悪人に福あるは変なり。人の吉凶、禍福、寿夭、富貴貧賤、万の幸不幸、皆天の命ずる所なり。人間の万事、天命にあらざる事なし。或は生れつきて定まり、或は時により不慮に命くだりて、偶然として福にあひ、わざはひにあふ。求めても命なければ得がたく、求めざれども命あれば得やすし。唯人の法を行ひて、天命をまつべし。善を行ひて福来るは常の理なれども、もし禍あるは、是また天命の変なれば、うれふべからず。およそ人天命を知りて、命にまかせ、うれひなき工夫をなすべし。天命を知らざれば、命のさだまりありて、福の求めがたく、禍の去りがたき事を知らず。利につき、害をさけんとし、人にへつらひ、神にへつらふは見ぐるし。愚なりといふべし。故に論語に、命を知らざれば以て君子たること無きなりといへり。