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都鄙問答 / 卷之一・播州ノ人學問ノ事ヲ問ノ段

曰、汝ノ云ヘル如クナレバ、忰ニ學問サセテモ、大ナル疵トモ成マジ、然レドモ、或人ノ云ヘルハ、カヤウニ學者ノ風俗惡鋪ナルハ、弟子ノ難ニハアラズ、儒者タル人、聖賢ノ心ヲ知ラズシテ敎ル故ニ、己ニ克禮ニ復コトヲ知ラズ、且我身ニ祿ノ望有ユヘ、禮ヲ以テ進、義ヲ見テ退コト能ハズ、其無禮ヲ學ユヘ、己ガ文學ニ伐、他人ヲ慢、コレ學問ノ害ナリ、其發ヲ原レバ、師タル者ノ名聞ト利欲ノ心、自然ニ遷タル者ナリ、弟子ノ難ニハアラズ、師ノ難ナリト云フ人有リ、如何ナルコトゾヤ、

新字:曰、汝ノ云ヘル如クナレバ、忰ニ学問サセテモ、大ナル疵トモ成マジ、然レドモ、或人ノ云ヘルハ、カヤウニ学者ノ風俗悪鋪ナルハ、弟子ノ難ニハアラズ、儒者タル人、聖賢ノ心ヲ知ラズシテ教ル故ニ、己ニ克礼ニ復コトヲ知ラズ、且我身ニ禄ノ望有ユヘ、礼ヲ以テ進、義ヲ見テ退コト能ハズ、其無礼ヲ学ユヘ、己ガ文学ニ伐、他人ヲ慢、コレ学問ノ害ナリ、其発ヲ原レバ、師タル者ノ名聞ト利欲ノ心、自然ニ遷タル者ナリ、弟子ノ難ニハアラズ、師ノ難ナリト云フ人有リ、如何ナルコトゾヤ、

書き下し

曰、汝の云へる如くなれば、忰に学問させても、大なる疵とも成まじ。然れども、或人の云へるは、かやうに学者の風俗悪鋪なるは、弟子の難にはあらず。儒者たる人、聖賢の心を知らずして教る故に、己に克礼に復ことを知らず、且我身に禄の望有ゆへ、礼を以て進、義を見て退こと能はず。其無礼を学ゆへ、己が文学に伐、他人を慢。これ学問の害なり。其発を原れば、師たる者の名聞と利欲の心、自然に遷たる者なり。弟子の難にはあらず、師の難なりと云ふ人有り。如何なることぞや。

現代語訳

父親「おっしゃる通りなら、息子に学問をさせても大きな傷にはならないでしょう。しかしある人はこう言います。『学者の風俗がこのように悪いのは弟子のせいではない。儒者が聖賢の心を知らずに教えるから、己に克って礼に復ることを知らない。しかも自分に俸禄の望みがあるから、礼に従って進み、義を見て退くことができない。その無礼を弟子が学ぶので、自分の学問を誇り、他人を侮る。これが学問の害である。もとをたどれば、師の名誉欲と利欲の心が自然に弟子へ移ったものだ。弟子の落ち度ではなく師の落ち度だ』と。これはどういうことでしょうか。」

解説

問いは一歩深まり、学者の悪風の原因は教える側にあるのではないかという批判が持ち出されます。「己に克ちて礼に復る」は『論語』顔淵篇の克己復礼。師が仕官や俸禄を望んでいれば、その名誉欲と利欲が弟子に移る、という指摘は、教育の本質を突いています。梅岩自身は俸禄を求めず、京都車屋町の自宅で聴講料を取らずに講席を開きました。この問いは、教える人の生き方がそのまま教えになるという、指導者や上司にとって耳の痛い論点を提示しています。

この章句が説くこと

師弟名聞利欲克己教育

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