囲炉夜話 / 第百四十則・只だ貧にして志有るを要す
士既知學,還恐學而無恒。人不患貪,只要貧而有志。
新字:士既知学,還恐学而無恒。人不患貪,只要貧而有志。
書き下し
士既に學ぶを知るも、還た學びて恒無きを恐る。人は貧を患へず、只だ貧にして志有るを要す。
現代語訳
士がすでに学ぶことを知っていても、なお学んで長続きしないことが気がかりです。人は貧しいことを心配するには及びません。ただ貧しくても志があることが大切です。
解説
学びの持続と、貧しさの中の志を説いた則です。前半は、学ぶことの大切さを知っている人でも、恒、つまり続ける力がなければ意味がないと言います。学問の敵は無知よりも、途中で投げ出すことだという指摘です。論語子路篇にも、人にして恒無くんば、という言葉があります。後半は、貧しいことそのものは憂えるに足りず、貧しさの中でも志を失わないことが肝心だと言います。なお原文はこの箇所を貪と作りますが、文脈から貧の誤りと見て読みました。前半は学びを続ける志、後半は境遇に負けない志で、どちらも外の条件より内なる持続の力を問うている点で一対です。今日でも、始めるのは簡単でも続けるのが難しいのは学びも仕事も同じです。お金がないことより、志がしぼむことの方が恐ろしいのです。

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本の中身を見るこの章句が説くこと
学問恒心志清貧修身
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