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都鄙問答 / 卷之一・都鄙問答ノ段

曰、彼儒ノ云、汝ハ詩作文章ニ疎由ヲ聞ク、若儒者タルモノ、諸侯方ヘ召出サルヽコト有テ、詩文ナドヲ好マセタマハヾ、如何スベキ、文學ナクシテ、儒者トハ云レマジト云如何、答、然リ、我等如キハ、文字ヲ正テハ、手紙一通モ書得ザル者、何方ヘ出ベキヤ、拙ヲ知テ出ザレバ、恥ヲ受コト少カルベシ、元來儒者ハ政ニ從者ナリ、論語ニモ、仁ヲ問ヒ政ヲ問コト多シ、詩作文章ニ及ブコト少ナリ、孔子ハ、德ニ至リ、仁ヲ全スルコトヲ敎玉フ、孟子ハ、其仁ヲ知ルコトヲ敎玉フ、依テ心ヲ盡シ、性ヲ知ルト說玉ヘリ、文學ハ末ナルコト明ナリ、然ルニ詩作文章バカリヲ、儒者ノ業ト思ヘルハ辟ナリ、子曰、誦詩三百授之以政不達、使四方不能專對、

新字:曰、彼儒ノ云、汝ハ詩作文章ニ疎由ヲ聞ク、若儒者タルモノ、諸侯方ヘ召出サルヽコト有テ、詩文ナドヲ好マセタマハヾ、如何スベキ、文学ナクシテ、儒者トハ云レマジト云如何、答、然リ、我等如キハ、文字ヲ正テハ、手紙一通モ書得ザル者、何方ヘ出ベキヤ、拙ヲ知テ出ザレバ、恥ヲ受コト少カルベシ、元来儒者ハ政ニ従者ナリ、論語ニモ、仁ヲ問ヒ政ヲ問コト多シ、詩作文章ニ及ブコト少ナリ、孔子ハ、徳ニ至リ、仁ヲ全スルコトヲ教玉フ、孟子ハ、其仁ヲ知ルコトヲ教玉フ、依テ心ヲ尽シ、性ヲ知ルト説玉ヘリ、文学ハ末ナルコト明ナリ、然ルニ詩作文章バカリヲ、儒者ノ業ト思ヘルハ辟ナリ、子曰、誦詩三百授之以政不達、使四方不能専対、

書き下し

曰く、彼の儒の云ふ、汝は詩作文章に疎き由を聞く。若し儒者たるもの、諸侯方へ召し出ださるること有りて、詩文などを好ませたまはば、如何すべき。文学なくして、儒者とは云はれまじと云ふ。如何。答ふ、然り。我等如きは、文字を正しては、手紙一通も書き得ざる者、何方へ出づべきや。拙きを知りて出でざれば、恥を受くること少なかるべし。元来儒者は政に従ふ者なり。論語にも、仁を問ひ政を問ふこと多し。詩作文章に及ぶこと少なり。孔子は、徳に至り、仁を全うすることを教へ玉ふ。孟子は、其の仁を知ることを教へ玉ふ。依りて心を尽くし、性を知ると説き玉へり。文学は末なること明らかなり。然るに詩作文章ばかりを、儒者の業と思へるは辟なり。子曰く、詩三百を誦すれども、之に授くるに政を以てして達せず、四方に使ひして専対すること能はずんば、

現代語訳

故郷の者は言いました。「あの儒者は言いました。『あなたは詩作や文章に疎いと聞く。もし儒者として大名に召し出されて、詩文などを好まれたらどうするのか。文字の学問がなくては儒者とは言えまい』と。どうですか。」梅岩は答えました。「そのとおりです。私などは文字を正しく書けば手紙一通も書けない者ですから、どこへ出られましょう。拙さを知って出なければ、恥を受けることも少ないでしょう。もともと儒者は政治に携わる者です。論語でも、仁を問い政治を問うことが多く、詩作や文章に及ぶことは少ないのです。孔子は徳に至り仁を全うすることを教え、孟子はその仁を知ることを教えられました。だから心を尽くして性を知ると説かれたのです。文字の学問が末であることは明らかです。それなのに詩作や文章ばかりを儒者の仕事と思うのは偏りです。孔子は『詩経三百篇を暗誦していても、政治を任せて通じず、四方の国に使いして一人で応対できないなら、」

解説

最後の批判は、詩文ができなくては儒者として大名に仕えられないというものです。梅岩は、自分は手紙一通も満足に書けないと率直に認めたうえで、拙さを知って出仕しなければ恥も少ないと受け流します。そして儒者の本分は政治であり、論語も仁と政を問う話が中心で詩文の話は少ないと反論しました。当時の儒者の評価が漢詩文の腕前で決まりがちだったことへの批判です。見栄えのする技芸と、本来の務めを取り違えるな、という指摘は今の専門職にも通じます。

この章句が説くこと

儒者詩文文学

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