師導古典を学びたいすべての人に

都鄙問答 / 卷之一・都鄙問答ノ段

曰、然ラバ心ヲ知トキハ、直ニ賢人ニテ候ヤ、答、否、身ニ行ザレバ賢人ニアラズ、知ル心ハ一ナレドモ、力ト功トハ違アリ、聖賢ハ力强シテ功アリ、中庸ニ、所謂安ジテ行フハ聖人ナリ、利シテ行フハ賢人ナリト云、コレナリ、我等如キハ、力弱シテ功ナシ、或ハ勉强シテ行フ、是ナリ、然レドモ心ヲ知ルユヘニ、行ハレザルコトヲ困、困トイヘドモ、行ヒオホセ、功ヲナスニ及デハ、一ナリ、

新字:曰、然ラバ心ヲ知トキハ、直ニ賢人ニテ候ヤ、答、否、身ニ行ザレバ賢人ニアラズ、知ル心ハ一ナレドモ、力ト功トハ違アリ、聖賢ハ力強シテ功アリ、中庸ニ、所謂安ジテ行フハ聖人ナリ、利シテ行フハ賢人ナリト云、コレナリ、我等如キハ、力弱シテ功ナシ、或ハ勉強シテ行フ、是ナリ、然レドモ心ヲ知ルユヘニ、行ハレザルコトヲ困、困トイヘドモ、行ヒオホセ、功ヲナスニ及デハ、一ナリ、

書き下し

曰く、然らば心を知るときは、直ちに賢人にて候や。答ふ、否、身に行はざれば賢人にあらず。知る心は一なれども、力と功とは違ひあり。聖賢は力強くして功あり。中庸に、所謂安んじて行ふは聖人なり、利して行ふは賢人なりと云ふ、これなり。我等如きは、力弱くして功なし。或いは勉強して行ふ、是なり。然れども心を知るゆへに、行はれざることを困しむ。困しむといへども、行ひおほせ、功をなすに及んでは、一なり。

現代語訳

故郷の者は言いました。「それなら心を知ったときは、すぐに賢人になるのですか。」梅岩は答えました。「いいえ、身に行わなければ賢人ではありません。知る心は同じでも、力と功には違いがあります。聖人や賢人は力が強くて功があります。中庸にいう、安らかに行うのが聖人、利を知って行うのが賢人、というのがこれです。私たちのような者は力が弱くて功がありません。あるいは努めて行う、というのがこれにあたります。けれども心を知っているので、行えないことに苦しみます。苦しみながらも行いとげ、功をなすところまで行けば、同じことです。」

解説

心を知れば即座に賢人になるのか、という問いに、梅岩ははっきり否と答えます。知る心は同じでも、それを行う力と成果には人によって差があるというのです。中庸第二十章の「或いは安んじて之を行ひ、或いは利して之を行ひ、或いは勉強して之を行ふ。其の功を成すに及んでは一なり」を踏まえ、自分たちは努力して行う側だと認めます。行えないことに苦しむのは、心を知っているからこそ。最後に功をなせば同じだ、という言葉は、器用でない者への励ましとして響きます。

この章句が説くこと

知行賢人中庸努力

関連する章句

この一句を、あなたの毎日に。

古典の教えを、今の状況に当てはめて考えてみる——師導があなたの学びと選択を支えます。

師導で古典を学ぶ
いま登録すると、7日間すべての機能を無料でお試しいただけます。 無料ではじめる