都鄙問答 / 卷之一・都鄙問答ノ段
曰、然リ、答、唐土ノ六祖ハ、一字ヲ不學トカヤ承ル、然レドモ達摩ヨリ六代ノ祖トナリ、禪ヲ今日マデ繼來ルハ、六祖ノ力ニ有トカヤ、然レドモ是ハ禪宗ノコトナリ、又我儒ニテ云ハヾ、子夏曰、賢賢易色、事父母能竭、其力、事君能致其身、與朋友交、言而有信、雖曰未學吾必謂之學矣、聖人ノ道ハ心ヨリナス、文字ヲ知ラズシテモ、親ノ孝モ成リ、君ノ忠モ成リ、友ノ交リモ成リ、文字無世ナレ共、伏義神農ハ聖人ナリ、只心ヲ盡テ、五倫ノ道ヲ能スレバ、一字不學トイフ共、是ヲ實ノ學者ト云、且文學アル者ハ、文質彬々ノ君子トハ云ベケレド、常體ノ者ノ至ルベキコトニ非ズ、如何トナレバ、家業忙、記臆薄キ者多ケレバナリ、子曰、行有餘力、則以學文、聖人ノ學問ハ、行ヲ本トシテ、文學ハ枝葉ナルコトヲ知ルベキコトナリ、
新字:曰、然リ、答、唐土ノ六祖ハ、一字ヲ不学トカヤ承ル、然レドモ達摩ヨリ六代ノ祖トナリ、禅ヲ今日マデ継来ルハ、六祖ノ力ニ有トカヤ、然レドモ是ハ禅宗ノコトナリ、又我儒ニテ云ハヾ、子夏曰、賢賢易色、事父母能竭、其力、事君能致其身、与朋友交、言而有信、雖曰未学吾必謂之学矣、聖人ノ道ハ心ヨリナス、文字ヲ知ラズシテモ、親ノ孝モ成リ、君ノ忠モ成リ、友ノ交リモ成リ、文字無世ナレ共、伏義神農ハ聖人ナリ、只心ヲ尽テ、五倫ノ道ヲ能スレバ、一字不学トイフ共、是ヲ実ノ学者ト云、且文学アル者ハ、文質彬々ノ君子トハ云ベケレド、常体ノ者ノ至ルベキコトニ非ズ、如何トナレバ、家業忙、記臆薄キ者多ケレバナリ、子曰、行有余力、則以学文、聖人ノ学問ハ、行ヲ本トシテ、文学ハ枝葉ナルコトヲ知ルベキコトナリ、
書き下し
曰く、然り。答ふ、唐土の六祖は、一字を学ばずとかや承る。然れども達摩より六代の祖となり、禅を今日まで継ぎ来たるは、六祖の力に有るとかや。然れども是は禅宗のことなり。又我が儒にて云はば、子夏曰く、賢を賢として色に易へ、父母に事へて能く其の力を竭くし、君に事へて能く其の身を致し、朋友と交はりて、言ひて信有らば、未だ学ばずと曰ふと雖も、吾必ず之を学びたりと謂はん、と。聖人の道は心よりなす。文字を知らずしても、親の孝も成り、君の忠も成り、友の交はりも成る。文字無き世なれども、伏羲神農は聖人なり。只心を尽くして、五倫の道を能くすれば、一字不学といふとも、是を実の学者と云ふ。且つ文学ある者は、文質彬々の君子とは云ふべけれど、常体の者の至るべきことに非ず。如何となれば、家業忙しく、記臆薄き者多ければなり。子曰く、行ひて余力有らば、則ち以て文を学べ、と。聖人の学問は、行ひを本として、文学は枝葉なることを知るべきことなり。
現代語訳
故郷の者は「そうです」と言いました。梅岩は答えました。「唐土の六祖慧能は、一字も学ばなかったと聞きます。それでも達磨から六代目の祖となり、禅が今日まで受け継がれているのは六祖の力によるといいます。けれどもこれは禅宗のことです。私たち儒の側で言えば、子夏は『賢人を尊んで色好みの心に替え、父母に仕えては力を尽くし、主君に仕えては身をささげ、友と交わっては言葉に信がある。そういう人なら、まだ学んでいないと言っても、私は必ず学んだ人だと言おう』と言いました。聖人の道は心から行うものです。文字を知らなくても、親への孝も、主君への忠も、友との交わりもできます。文字のない時代でも伏羲や神農は聖人でした。ただ心を尽くして五倫の道をよく行えば、一字も学ばなくても本当の学者です。文字の学問がある者は、中身と飾りの釣り合った君子とは言えますが、普通の人が到れることではありません。なぜなら家業が忙しく、記憶の薄い者が多いからです。孔子は『行いをしてなお余力があれば文を学べ』と言いました。聖人の学問は行いを本とし、文字の学問は枝葉だと知るべきです。」
解説

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