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都鄙問答 / 卷之一・都鄙問答ノ段

大哉乾元萬物資始、乃統天、雲行雨施、品物流形、乾道變化各正性命也、天ノ與ル樂ハ、實面白キアリサマ哉、何ヲ以テカコレニ加ヘン、或時故鄕ノ者來テ曰、頃日出京致シ、親類ドモ方ニ罷在候トコロ、或學者參レ物語ノ上、汝ノ噂出申候、夫ニツキ、尋度子細有テ來リ、是マデ在所ニテノ噂ニハ、小學ナドヲ講ラレ、少々宛ハ門人モ聚メラルヽト聞、影ナガラモ喜シク思ヒ侍シ所、彼學者申サレケルハ、彼ハ異端ノ流ニテ、儒者ニテハ無トイヘリ、依テ其異端ト云ハ、如何ナル義ゾト問ケレバ、異端ト云ハ、聖人ノ道ニアラズ、其者ガ別ニ私意ヲ以テ敎ヲ立、世上ノ愚ナル者ヲ誣クラマセテ、性ヲ知ルノ心ヲ知ルノト、向上ノ論義ヲ爲人ヲ惑スコトナリ、性ヲ知ルト云ハ、古ノ聖人賢人ノコトニテ、後世ノ人、及ベキ所ニ非トイヘリ、我此ヲ聞ヨリ、思ヘバ人ヲ惑スコトハ、山賊强盜ヲ爲ヨリハ、其罪ハ甚カラン、餘笑止ニ思ハレ、如此云ナリ、汝故鄕ヘ歸居ルヽ共、只口ヲ養ハ、心易キコトナリ、口一ッ養ントテ、人ヲ迷スハ哀コトナリ、如何心得ラレ候ヤ、

新字:大哉乾元万物資始、乃統天、雲行雨施、品物流形、乾道変化各正性命也、天ノ与ル楽ハ、実面白キアリサマ哉、何ヲ以テカコレニ加ヘン、或時故郷ノ者来テ曰、頃日出京致シ、親類ドモ方ニ罷在候トコロ、或学者参レ物語ノ上、汝ノ噂出申候、夫ニツキ、尋度子細有テ来リ、是マデ在所ニテノ噂ニハ、小学ナドヲ講ラレ、少々宛ハ門人モ聚メラルヽト聞、影ナガラモ喜シク思ヒ侍シ所、彼学者申サレケルハ、彼ハ異端ノ流ニテ、儒者ニテハ無トイヘリ、依テ其異端ト云ハ、如何ナル義ゾト問ケレバ、異端ト云ハ、聖人ノ道ニアラズ、其者ガ別ニ私意ヲ以テ教ヲ立、世上ノ愚ナル者ヲ誣クラマセテ、性ヲ知ルノ心ヲ知ルノト、向上ノ論義ヲ為人ヲ惑スコトナリ、性ヲ知ルト云ハ、古ノ聖人賢人ノコトニテ、後世ノ人、及ベキ所ニ非トイヘリ、我此ヲ聞ヨリ、思ヘバ人ヲ惑スコトハ、山賊強盗ヲ為ヨリハ、其罪ハ甚カラン、余笑止ニ思ハレ、如此云ナリ、汝故郷ヘ帰居ルヽ共、只口ヲ養ハ、心易キコトナリ、口一ッ養ントテ、人ヲ迷スハ哀コトナリ、如何心得ラレ候ヤ、

書き下し

大いなるかな乾元、万物資りて始む、乃ち天を統ぶ。雲行き雨施し、品物形を流く。乾道変化して各々性命を正すなり。天の与ふる楽しみは、実に面白きありさまかな。何を以てかこれに加へん。或る時故郷の者来たりて曰く、頃日出京致し、親類ども方に罷り在り候ところ、或る学者参られ物語の上、汝の噂出で申し候。夫につき、尋ねたき子細有りて来たり。是まで在所にての噂には、小学などを講ぜられ、少々宛は門人も聚めらるると聞き、影ながらも喜しく思ひ侍りし所、彼の学者申されけるは、彼は異端の流れにて、儒者にては無しといへり。依りて其の異端と云ふは、如何なる義ぞと問ひければ、異端と云ふは、聖人の道にあらず、其の者が別に私意を以て教へを立て、世上の愚かなる者を誣ひくらませて、性を知るの心を知るのと、向上の論義を為し人を惑はすことなり。性を知ると云ふは、古の聖人賢人のことにて、後世の人、及ぶべき所に非ずといへり。我此を聞きしより、思へば人を惑はすことは、山賊強盗を為すよりは、其の罪は甚だしからん。余りに笑止に思はれ、此の如く云ふなり。汝故郷へ帰り居らるるとも、只口を養ふは、心易きことなり。口一つ養はんとて、人を迷はすは哀しきことなり。如何心得られ候や。

現代語訳

大いなるかな乾の元気。万物はこれによって始まり、天のすべてを統べる。雲が行き雨が降り、さまざまな物が形をなす。天の道は変化して、それぞれの生まれつきと命を正しく定める。天の与える楽しみは、まことに面白いありさまです。何をこれに加えることがあるでしょう。ある時、故郷の者が来て言いました。「このごろ京に出てきて親類の家に滞在していたところ、ある学者が来て話をするうちに、あなたの噂が出ました。それで尋ねたいことがあって来たのです。これまで在所では、あなたが小学などを講義し、少しずつ門人も集めていると聞いて、陰ながら喜んでいました。ところがその学者は、彼は異端の流れで儒者ではない、と言うのです。異端とはどういう意味かと聞くと、聖人の道ではなく、自分勝手な考えで教えを立て、世間の愚かな者をだまして、性を知るの心を知るのと高尚な議論をして人を惑わすことだ、性を知るというのは昔の聖人賢人のことで、後の世の人が及ぶところではない、と言いました。これを聞いてから思えば、人を惑わすことは山賊や強盗より罪が重いでしょう。あまりに気の毒に思えて、こう言うのです。故郷へ帰ってしまえば、口一つ養うくらいはたやすいことです。口一つ養うために人を迷わせるのは哀れなことです。どうお考えですか。」

解説

都鄙問答は元文4年(1739年)刊、石田梅岩が京都で開いた講席での問答を門人とまとめた書です。巻頭は易経乾卦の彖伝「大哉乾元」から始まり、天の与える楽しみを讃えます。続く本文では、故郷丹波の知人が、梅岩は異端で儒者ではないという学者の噂を伝え、帰郷を勧めます。梅岩は四十代で講釈を始めた町人学者で、既存の儒者からは素性を疑われていました。性や心を説くのは聖人の領分だという批判に、どう答えるのか。書名の「都鄙」は都と田舎、つまりこの問答の構図そのものです。

この章句が説くこと

異端学者易経都鄙問答

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