歎異抄 / 後序
おおよそ聖教には、真実・権仮ともに相交わり候なり。権をすてて実をとり、仮をさしおきて真を用いるこそ、聖人の御本意にて候え。 かまえてかまえて聖教を見乱らせたまうまじく候。大切の証文ども、少々抜き出で参らせ候て、目安にしてこの書に添え参らせて候なり。
書き下し
おおよそ聖教には、真実・権仮ともに相交わり候なり。権をすてて実をとり、仮をさしおきて真を用いるこそ、聖人の御本意にて候え。 かまえてかまえて聖教を見乱らせたまうまじく候。大切の証文ども、少々抜き出で参らせ候て、目安にしてこの書に添え参らせて候なり。
現代語訳
おおよそ聖なる教えには、真実の教えと方便としての仮の教えとが入り交じっている。仮の教えを捨てて真実を取り、方便を差し置いて真実を用いることこそ、聖人の御本意である。くれぐれも聖教の読み方を誤ってはならない。とりわけ重要な証拠の文を、少しばかり抜き出して、目安としてこの書に添えておいた。
解説
一つの教えの中にも、真実そのものを説く部分と、人を導くための方便として説かれた部分とがあり、両者を区別して読むことの大切さが語られる。何かの言葉をすべて同じ重みで受け取ってしまうと、方便のための工夫と、核心にある真実とを取り違えてしまう。物事を読み解くとき、何が本質で何が手段であるかを見極める視点が示唆される。
この章句が説くこと
真実と方便聖教読み方の心得