歎異抄 / 後序
おおよそ聖教には、真実・権仮ともに相交わり候なり。権をすてて実をとり、仮をさしおきて真を用いるこそ、聖人の御本意にて候え。 かまえてかまえて聖教を見乱らせたまうまじく候。大切の証文ども、少々抜き出で参らせ候て、目安にしてこの書に添え参らせて候なり。
書き下し
おおよそ聖教には、真実・権仮ともに相交わり候なり。権をすてて実をとり、仮をさしおきて真を用いるこそ、聖人の御本意にて候え。 かまえてかまえて聖教を見乱らせたまうまじく候。大切の証文ども、少々抜き出で参らせ候て、目安にしてこの書に添え参らせて候なり。
現代語訳
おおよそ聖なる教えには、真実の教えと方便としての仮の教えとが入り交じっている。仮の教えを捨てて真実を取り、方便を差し置いて真実を用いることこそ、聖人の御本意である。くれぐれも聖教の読み方を誤ってはならない。とりわけ重要な証拠の文を、少しばかり抜き出して、目安としてこの書に添えておいた。
解説
一つの教えの中にも、真実そのものを説く部分と、人を導くための方便として説かれた部分とがあり、両者を区別して読むことの大切さが語られる。何かの言葉をすべて同じ重みで受け取ってしまうと、方便のための工夫と、核心にある真実とを取り違えてしまう。物事を読み解くとき、何が本質で何が手段であるかを見極める視点が示唆される。
この章句が説くこと
真実と方便聖教読み方の心得
関連する章句
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歎異抄・後序露命わずかに枯草の身にかかりて候ほどにこそ、相伴わしめたまう人々、御不審をも承り、聖人の仰せの候いし趣をも申し聞かせ参らせ候えども、閉眼の後は、さこそしどけなき事どもにて候わんずらめと歎き存じ候いて、 かくのごとくの義ども仰せられあい候人々にも、言い迷わされなんどせらるることの候わんときは、故聖人の御心にあいかないて御用い候御聖教どもを、よくよく御覧候べし。
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歎異抄・後序聖人の仰せには、「善悪の二つ、総じてもって存知せざるなり。そのゆえは、如来の御心に善しと思し召すほどに知りとおしたらばこそ、善きを知りたるにてもあらめ、如来の悪しと思し召すほどに知りとおしたらばこそ、悪しさを知りたるにてもあらめど、煩悩具足の凡夫・火宅無常の世界は、万のこと皆もってそらごと・たわごと・真実あることなきに、ただ念仏のみぞまことにておわします」とこそ、仰せは候いしか。
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歎異抄・後序まことに我も人も空言をのみ申しあい候中に、一つ痛ましきことの候なり。そのゆえは、念仏申すについて信心の趣をもたがいに問答し、人にも言い聞かするとき、人の口をふさぎ相論を絶たんために、全く仰せにてなきことをも仰せとのみ申すこと、浅ましく歎き存じ候なり。この旨をよくよく思い解き、心得らるべきことに候。
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歎異抄・前序ひそかに愚案を廻らして、ほぼ古今を勘うるに、先師の口伝の真信に異なることを歎き、後学相続の疑惑あることを思うに、幸いに有縁の知識によらずば、いかでか易行の一門に入ることを得んや。まったく自見の覚悟をもって、他力の宗旨を乱ることなかれ。よって故親鸞聖人の御物語の趣、耳の底に留むる所、いささかこれを註す。ひとえに同心行者の不審を散ぜんがためなり。
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歎異抄・後序これさらに私の言葉にあらずといえども、経釈の行く路も知らず、法文の浅深を心得わけたることも候わねば、定めておかしきことにてこそ候わめども、故親鸞聖人の仰せ言候いし趣、百分が一つ、片端ばかりをも思い出で参らせて書き付け候なり。 悲しきかなや、幸いに念仏しながら、直に報土に生まれずして辺地に宿をとらんこと。一室の行者の中に信心異なることなからんために、泣く泣く筆を染めてこれを記す。 名づけて歎異抄というべし。外見あるべからず。
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歎異抄・別序そもそもかの御在生の昔、同じ志にして歩みを遼遠の洛陽に励まし、信を一つにして心を当来の報土にかけし輩は、同時に御意趣を承りしかども、その人々に伴いて念仏申さるる老若、その数を知らずおわします中に、聖人の仰せにあらざる異義どもを、近来は多く仰せられおうて候由、伝え承る。いわれなき条々の子細のこと。