歎異抄 / 別序
そもそもかの御在生の昔、同じ志にして歩みを遼遠の洛陽に励まし、信を一つにして心を当来の報土にかけし輩は、同時に御意趣を承りしかども、その人々に伴いて念仏申さるる老若、その数を知らずおわします中に、聖人の仰せにあらざる異義どもを、近来は多く仰せられおうて候由、伝え承る。いわれなき条々の子細のこと。
書き下し
そもそもかの御在生の昔、同じ志にして歩みを遼遠の洛陽に励まし、信を一つにして心を当来の報土にかけし輩は、同時に御意趣を承りしかども、その人々に伴いて念仏申さるる老若、その数を知らずおわします中に、聖人の仰せにあらざる異義どもを、近来は多く仰せられおうて候由、伝え承る。いわれなき条々の子細のこと。
現代語訳
そもそも、あの親鸞聖人がご在世であった昔、同じ志を抱いて、はるか遠い都(京都)へと歩みを重ね、心を一つにして来世の浄土に思いをかけていた人々は、皆同じ趣旨のお言葉を聖人から直接聞いていたはずである。ところが、その人々に連れられて念仏を称える老若の門徒は数え切れないほどいる中に、聖人が仰せにならなかったはずの異なった教えの数々を、近ごろは多く説いているということが伝え聞かれる。いわれのない事柄について、以下に述べる。
解説
直接教えを聞いた世代から、また聞きの世代へと伝わっていく中で、いつの間にか教えが変質していくことへの危機感がここに書かれている。組織や集団で何かを継承しようとするとき、最初に聞いた言葉と、実際に広まっていく言葉との間には、どうしてもずれが生じる。このあと述べられる異義の指摘は、そのずれを一つひとつ正そうとする試みである。
この章句が説くこと
異義伝承のずれ門徒