歎異抄 / 第十条
念仏には無義をもって義とす。不可称・不可説・不可思議のゆえに、と仰せ候いき。
書き下し
念仏には無義をもって義とす。不可称・不可説・不可思議のゆえに、と仰せ候いき。
現代語訳
念仏には、はからいのないことをこそ、そのはからいとする。称えることも説くことも思いはかることもできない不思議さのゆえである、と仰せになった。
解説
理屈で説明し尽くそうとすることをやめ、あえて「はからわない」という一点にとどまる短い言葉である。何事も筋道を立てて理解したい、コントロールしたいという私たちの習性からすると、あっさりしすぎているようにも感じられる。しかし、すべてを説明しきれないまま受け止めるという態度が、かえって深い安心につながることもある。理屈を積み重ねる前に、まず受け止めるという順序を、この短い一文が教えてくれる。
この章句が説くこと
無義為義不可思議はからいを超える
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