歎異抄 / 第二条
そのゆえは、自余の行を励みて仏になるべかりける身が、念仏を申して地獄にも堕ちて候わばこそ、「すかされたてまつりて」という後悔も候わめ。 いずれの行も及び難き身なれば、とても地獄は一定すみかぞかし。
書き下し
そのゆえは、自余の行を励みて仏になるべかりける身が、念仏を申して地獄にも堕ちて候わばこそ、「すかされたてまつりて」という後悔も候わめ。 いずれの行も及び難き身なれば、とても地獄は一定すみかぞかし。
現代語訳
なぜなら、念仏以外の修行に励んで仏になれたはずの身が、念仏を称えたために地獄に堕ちたというのなら、『だまされた』という後悔もあるだろう。しかし、どんな修行にも及ばない身であるから、どのみち地獄は自分の定まった住みかなのである。
解説
自分にはもともと他の道を選べるだけの力量がなかった、という自覚がここでの核心である。「だまされたから後悔する」という理屈は、自分にもっと良い選択肢があったはずだという前提の上に成り立つ。しかし自分の力の限界を見つめたとき、選んだ道を悔いる根拠そのものが崩れていく。自分の実力を過信せず、身の丈を静かに知ることの意味を突きつけてくる一節である。
この章句が説くこと
自己の限界後悔身の丈