玉勝間 / 十四の巻 又
子產聽鄭國之政、以其乘輿、濟人於湊消、孟子曰、惠、而不知爲政、歲十一月徒-杠成、十二月輿-梁成、民未病涉也。君子平其政、行辟人可也、焉得人人而濟之、故爲政者、每人而悅之、日亦可(○不ノ誤カ)足矣。これ理窟なり。子產その渉りわづらふ人を見て、いまだ國中の民を見ず。惻隱の心政をなすに足れり。かの齊宣王が、牛をあはれみたるをばほめて、是心足以王矣とは云はずや。また不嗜殺人者能一之と云へり。秦始-皇の一ッにしたるはいかに。又程子曰、孟子性-善養-氣之論皆前聖所未發と云へり。性-善養-氣の論は、前聖の意にあらず。何ぞこれを發せん。又盡心篇に、孟子曰、不-仁哉梁惠王云云、かばかり不仁を行ふ人に、王道をすすめたるはいとをかし。また民爲貴、社-稷次之、君爲輕と云へり。甚しき云過しの惡言なり。かくて孟-子終-篇、唯だ親に孝なるべき事のみをしばしば云ひて、君に忠なるべき事を云へること一つも無し。又孟子告齊宣王曰、君之視臣如手足、則臣視君如腹心。君之視臣如犬-馬、則臣視君如國人。君之視臣如土芥、則臣視君如寇讐。寇讎云云、此之謂老讎、何服之有など云へり。此一章をもて、孟軻が大惡をさとるべし。
新字:子産聴鄭国之政、以其乗輿、済人於湊消、孟子曰、恵、而不知為政、歳十一月徒-杠成、十二月輿-梁成、民未病渉也。君子平其政、行辟人可也、焉得人人而済之、故為政者、毎人而悦之、日亦可(○不ノ誤カ)足矣。これ理窟なり。子産その渉りわづらふ人を見て、いまだ国中の民を見ず。惻隠の心政をなすに足れり。かの斉宣王が、牛をあはれみたるをばほめて、是心足以王矣とは云はずや。また不嗜殺人者能一之と云へり。秦始-皇の一ッにしたるはいかに。又程子曰、孟子性-善養-気之論皆前聖所未発と云へり。性-善養-気の論は、前聖の意にあらず。何ぞこれを発せん。又尽心篇に、孟子曰、不-仁哉梁恵王云云、かばかり不仁を行ふ人に、王道をすすめたるはいとをかし。また民為貴、社-稷次之、君為軽と云へり。甚しき云過しの悪言なり。かくて孟-子終-篇、唯だ親に孝なるべき事のみをしばしば云ひて、君に忠なるべき事を云へること一つも無し。又孟子告斉宣王曰、君之視臣如手足、則臣視君如腹心。君之視臣如犬-馬、則臣視君如国人。君之視臣如土芥、則臣視君如寇讐。寇讎云云、此之謂老讎、何服之有など云へり。此一章をもて、孟軻が大悪をさとるべし。
書き下し
子産、鄭国の政を聴き、その乗輿を以て、人を溱洧に済す。孟子曰く、恵にして、政を為すを知らず、歳の十一月に徒杠成り、十二月に輿梁成れば、民未だ渉るを病まざるなり。君子その政を平らかにせば、行くに人を辟くるも可なり、焉んぞ人人にしてこれを済すを得ん、故に政を為す者、人毎にしてこれを悦ばさば、日もまた足る可けん(〇不の誤りか)。これ理屈なり。子産その渉りわずらう人を見て、いまだ国中の民を見ず。惻隠の心政をなすに足れり。かの斉の宣王が、牛をあわれみたるをばほめて、是の心以て王たるに足れりとは云わずや。また人を殺すを嗜まざる者能くこれを一にすと云えり。秦の始皇の一つにしたるはいかに。又程子曰く、孟子の性善養気の論は皆前聖の未だ発せざる所なりと云えり。性善養気の論は、前聖の意にあらず。何ぞこれを発せん。又尽心篇に、孟子曰く、不仁なるかな梁の恵王云云、かばかり不仁を行う人に、王道をすすめたるはいとおかし。また民を貴しと為し、社稷これに次ぎ、君を軽しと為すと云えり。甚だしき云い過ぎの悪言なり。かくて孟子終篇、ただ親に孝なるべき事のみをしばしば云いて、君に忠なるべき事を云えること一つも無し。又孟子斉の宣王に告げて曰く、君の臣を視ること手足の如くなれば、則ち臣の君を視ること腹心の如し。君の臣を視ること犬馬の如くなれば、則ち臣の君を視ること国人の如し。君の臣を視ること土芥の如くなれば、則ち臣の君を視ること寇讐の如し。寇讐云云、これをこれ寇讐と謂う、何の服かこれ有らんなど云えり。この一章をもて、孟軻が大悪をさとるべし。
現代語訳
子産が鄭の国の政治を執ったとき、自分の乗る車で人々を溱水・洧水の川を渡してやった。孟子が言うには、「恵み深いが、政治のやり方を知らない。その年の十一月に歩いて渡る橋ができ、十二月に車の渡れる橋ができれば、民は川を渡るのに苦しまない。君子がその政治を公平に行うなら、出かけるときに人払いをしてもよい。どうして一人一人を渡してやれようか。だから政治をする者が、一人一人を喜ばせていたら、日数が足りないであろう(原文の「可」は「不」の誤りか)」。これは理屈である。子産は、川を渡るのに苦しんでいる人を見たのであって、まだ国中の民を見たのではない。惻隠の心は政治をするのに十分である。あの斉の宣王が牛を憐れんだことを褒めて、「この心があれば王となるのに十分だ」と言ったではないか。また「人を殺すことを好まない者が天下を統一できる」と言っている。秦の始皇帝が統一したのはどうなのか。また程子(程頤)は「孟子の性善説と養気の論は、みな前の聖人がまだ言い出さなかったものだ」と言っている。性善・養気の論は前の聖人の考えではない。どうしてこれを言い出したのか。また尽心篇に「孟子が言うには、不仁であるなあ、梁の恵王は」云々とある。これほど不仁を行う人に王道を勧めたのは、たいへん滑稽である。また「民を貴いものとし、国家の祭祀がこれに次ぎ、君主を軽いものとする」と言っている。ひどく言い過ぎた悪い言葉である。こうして『孟子』は全篇を通じて、ただ親に孝行であるべきことばかりをしばしば言って、君主に忠であるべきことを言ったことは一つもない。また孟子が斉の宣王に告げて言うには、「君主が臣下を手足のように見れば、臣下は君主を腹心のように見る。君主が臣下を犬や馬のように見れば、臣下は君主を行きずりの国人のように見る。君主が臣下を土やごみのように見れば、臣下は君主を仇敵のように見る」。(中略)「これを仇敵という。どうして喪に服することがあろうか」などと言っている。この一章によって、孟軻の大悪を悟るべきである。
解説
関連する章句
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『玉勝間』十四の巻 又これは君たる人に、教えたる語とは云いながら、あまり口にまかせたる悪言なり。この書、人の臣たらむ者の見るべき書にあらず。臣たる人に不忠不義を教えたる物なり。その国を去りてその君かえり見ずとて、これを寇讐とはいかでかせむ。云わんかたも無き悪言なり。おそるべしおそるべし。
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孟子・離婁章句下子產、鄭國の政を聽き、其の乘輿を以て、人を溱洧に濟せり。孟子曰く、「惠なれども政を為すを知らず。歲の十一月には徒杠成り、十二月には輿梁成らば、民未だ渉るを病まざるなり。君子、其の政を平らかにせば、行きて人を辟けしむるも可なり。焉くんぞ人人にして之を濟すを得ん。故に政を為す者は、人每にして之を悅ばさんとせば、日も亦た足らず。」
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『玉勝間』十四の巻 孟子孟子に、不孝に三有り、後無きを大と為すと云えり。然る時は、後あるが孝なること知るべし。もし後あるが孝ならば、身を富貴にせむこそ大孝ならめ。然るを、儒者の富貴を願わざるは、ただおのが身を潔くせむとして、親を思わざるなり。これ又不孝と云うべし。
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『宋名臣言行録』後集巻二・歐陽修孟子一部の書は、只だ是れ人心を正し、人に心を存し性を養い、其の放心を收めしめんことを要む。仁義禮智を論ずるに至りては、則ち惻隱・羞惡・辭讓・是非の心を以て之が端と爲す。邪說の害を論ずれば則ち曰く、其の心に生じて其の政に害ありと。事君を論ずれば則ち君心の非を格して君を正して國定まらんことを欲す。千變萬化、只だ心上より來たるを説く。人能く心を正さば、則ち事は爲すに足る者無し。大學の身を修め家を齊え國を治め天下を平らかにするは、其の本は只だ是れ心を正し意を誠にするのみ。心其の正を得て、然る後に性の善を知る。孟子は人に遇えば便ち性善を道う。
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孟子・梁惠王章句上梁の惠王曰く、「寡人の國に於けるや、心を盡くすのみ。河内凶なれば則ち其の民を河東に移し、其の粟を河内に移す。河東凶なるも亦た然り。鄰國の政を察するに、寡人の心を用うるが如き者無し。鄰國の民少きを加えず、寡人の民多きを加えざるは、何ぞや。」孟子對えて曰く、「王戰いを好む。請う戰いを以て喻えん。填然として之に鼓し、兵刃既に接す。甲を棄て兵を曳きて走る。或いは百步にして而る後に止り、或いは五十步にして而る後に止まる。五十步を以て百步を笑わば、則ち何如。」曰く、「不可なり。直だ百步ならざるのみ。是も亦た走るなり。」曰く、「王如し此を知らば、則ち民の鄰國より多きを望むこと無かれ。農時に違わざれば、穀は勝げて食う可からず。數罟(ソク・コ)洿池(オ・チ)に入らずんば、魚鼈も勝げて食う可からず。斧斤時を以て山林に入れば、材木勝げて用う可からず。穀と魚鼈と勝げて食う可からず、材木勝げて用う可からざるは、是れ民をして生を養い死を喪して憾無からしむるなり。生を養い死を喪して憾無きは、王道の始めなり。五畝の宅、之に樹うるに桑を以てせば、五十の者、以て帛を衣る可し。雞豚狗彘の畜、其の時を失う無くんば、七十の者、以て肉を食う可し。百畝の田、其の時を奪う勿くんば、數口の家、以て飢うる無かる可し。庠序の教えを謹み、之に申(かさねる)ぬるに孝悌の義を以てせば、頒白の者、道路に負戴せず。七十の者、帛を衣て肉を食い、黎民、飢えず寒えず。然り而して王ならざる者は、未だ之れ有らざるなり。狗彘、人の食を食らいて檢するを知らず。塗に餓莩(ガ・ヒョウ)有りて發するを知らず。人死すれば、則ち曰く、『我に非ざるなり、歳なり。』是れ何ぞ人を刺して之を殺して、我に非ざるなり、兵なり、と曰うに異ならんや。王、歳を罪する無くんば、斯に天下の民至らん。」
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孟子・梁惠王章句下齊の宣王、孟子を雪宮に見る。王曰く、「賢者も亦た此の樂しみ有るか。」孟子對えて曰く、「有り。人得ざれば、則ち其の上を非る。得ずして其の上を非る者は、非なり。民の上と為りて、民と樂を同じくせざる者も、亦た非なり。民の樂しみを樂しむ者は、民も亦た其の樂しみを樂しむ。民の憂いを憂うる者は、民も亦た其の憂いを憂う。樂しむに天下を以てし、憂うるに天下を以てす。然り而して王たらざる者は、未だ之れ有らざるなり。昔者、齊の景公、晏子に問いて曰く、『吾、轉附朝儛を觀し、海に遵(したがう)いて南し、琅邪に放(いたる)らんと欲す。吾何を脩めて以て先王の觀に比す可きや。』晏子對えて曰く、『善きかな問いや。天子、諸侯に適くを巡狩と曰う。巡狩とは、守る所を巡るなり。諸侯、天子に朝するを述職と曰う。述職とは、職とする所を述ぶるなり。事に非ざる者無し。春は耕すを省みて足らざるを補い、秋は斂(おさめる)むるを省みて給(たる)らざるを助く。夏の諺に曰う、吾王遊ばずんば、吾何を以て休せん。吾王豫せずんば、吾何を以て助からん、と。一遊一豫、諸侯の度と為らん。今や然らず。師行きて糧食す。飢うる者は食わず、勞する者は息わず。睊睊(ケン・ケン)として胥(「相」の意)い讒り、民乃ち慝を作す。命を方(はなつ)ち民を虐げ、飲食流るるが若く、流連荒亡、諸侯の憂いと為る。流れに從いて下り、而して反るを忘る、之れを流と謂う。流れに從いて上り、而して反りを忘る、之を連と謂う。獸に從いて厭く無き、之を荒と謂う。酒を樂しみて厭く無き、之を亡と謂う。先王には流連の樂しみ、荒亡の行い無かりき。惟だ君の行う所のままなり。』景公ᗑび、大いに國を戒め、出でて郊に舍す。是に於て始めて興發し不足を補う。大師を召して曰く、『我が為に君臣相ᗑぶの樂を作れ。』蓋し徴招・角招、是れなり。其の詩に曰く、『君を畜する何ぞ尤めん』君を畜すとは、君を好するなり。」
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