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玉勝間 / 九の巻 玉津島の神

さて又住吉を、和歌の神とすることも、第四の社神功皇后にて、若の浦の神なるより出たる事なるべし。さて玉津島は、津を濁りて、玉出島なり。古書に斯く書たり。うつほ物語の歌にはすなはち、玉いづる島とよめり。依て按に、此地は、神功皇后の、新羅を伐給ふ時に、如意珠を海中に得給ふと有る、その如意珠の出たる地なるべし。神功皇后の、紀ノ國に來坐せる事、日本紀に見えて、由有り。かくてかの珠を得給へる地なる故に、此皇后を祭れるなるべし。或說に、津ノ國住吉に、玉出ノ島あり、神功皇后新羅を伐給ふ時、干珠滿珠を得給ふ、其珠の出たる所なりと云へるは、紀ノ國の玉出島の事を、誤りて傳へたるなるべし。紀ノ國の玉出島ノ神を、後に住吉にも祭れるによりて、そこをも玉出島とは云ふなるべし。新拾遺、住吉社ノ歌合、社頭祝、津守ノ國平ノ歌に、君がため玉出の岸にやはらぐる光の末は千世もくもらじ、又或說に、干珠滿珠は、紀ノ國日前宮に納まる、と云へることも有ッ、是れもよし有ておぼゆ。日前宮はもと、名草の濱の宮にましまして、そのかみ玉津島も、日前宮の攝社なりしかば、かの珠の、玉津島より出たる事を、まがへて日前宮に納まるとは、云傳へたるなるべし。

新字:さて又住吉を、和歌の神とすることも、第四の社神功皇后にて、若の浦の神なるより出たる事なるべし。さて玉津島は、津を濁りて、玉出島なり。古書に斯く書たり。うつほ物語の歌にはすなはち、玉いづる島とよめり。依て按に、此地は、神功皇后の、新羅を伐給ふ時に、如意珠を海中に得給ふと有る、その如意珠の出たる地なるべし。神功皇后の、紀ノ国に来坐せる事、日本紀に見えて、由有り。かくてかの珠を得給へる地なる故に、此皇后を祭れるなるべし。或説に、津ノ国住吉に、玉出ノ島あり、神功皇后新羅を伐給ふ時、干珠満珠を得給ふ、其珠の出たる所なりと云へるは、紀ノ国の玉出島の事を、誤りて伝へたるなるべし。紀ノ国の玉出島ノ神を、後に住吉にも祭れるによりて、そこをも玉出島とは云ふなるべし。新拾遺、住吉社ノ歌合、社頭祝、津守ノ国平ノ歌に、君がため玉出の岸にやはらぐる光の末は千世もくもらじ、又或説に、干珠満珠は、紀ノ国日前宮に納まる、と云へることも有ッ、是れもよし有ておぼゆ。日前宮はもと、名草の浜の宮にましまして、そのかみ玉津島も、日前宮の摂社なりしかば、かの珠の、玉津島より出たる事を、まがへて日前宮に納まるとは、云伝へたるなるべし。

書き下し

さて又住吉を、和歌の神とすることも、第四の社神功皇后にて、若の浦の神なるより出でたる事なるべし。さて玉津島は、津を濁りて、玉出島なり。古書に斯く書きたり。うつほ物語の歌にはすなわち、玉いづる島とよめり。依て按ずるに、この地は、神功皇后の、新羅を伐ち給う時に、如意珠を海中に得給うと有る、その如意珠の出でたる地なるべし。神功皇后の、紀の国に来坐せる事、日本紀に見えて、由有り。かくてかの珠を得給える地なる故に、この皇后を祭れるなるべし。或説に、津の国住吉に、玉出の島あり、神功皇后新羅を伐ち給う時、干珠満珠を得給う、その珠の出でたる所なりと云えるは、紀の国の玉出島の事を、誤りて伝えたるなるべし。紀の国の玉出島の神を、後に住吉にも祭れるによりて、そこをも玉出島とは云うなるべし。新拾遺、住吉社の歌合、社頭祝、津守の国平の歌に、君がため玉出の岸にやわらぐる光の末は千世もくもらじ、又或説に、干珠満珠は、紀の国日前宮に納まる、と云えることも有り、これもよし有りておぼゆ。日前宮はもと、名草の浜の宮にましまして、そのかみ玉津島も、日前宮の摂社なりしかば、かの珠の、玉津島より出でたる事を、まがえて日前宮に納まるとは、云い伝えたるなるべし。

現代語訳

さてまた住吉の神を和歌の神とすることも、第四の社が神功皇后で、若の浦の神であることから出たことであろう。さて玉津島は、「つ」を濁って「たまづしま」、すなわち玉出島である。古い書物にもそう書いてある。『うつほ物語』の歌には、そのまま「玉いづる島」と詠んでいる。そこで考えるに、この地は、神功皇后が新羅を討たれた時に、如意珠を海中から得られたとある、その如意珠の出た地であろう。神功皇后が紀伊国においでになったことは『日本書紀』に見えていて、いわれがある。こうしてその珠を得られた地であるから、この皇后を祀ったのであろう。ある説に、摂津国の住吉に玉出の島があり、神功皇后が新羅を討たれた時に干珠・満珠を得られた、その珠の出た所だと言うのは、紀伊国の玉出島のことを誤って伝えたのであろう。紀伊国の玉出島の神を、のちに住吉にも祀ったので、そこをも玉出島と言うのであろう。『新拾遺集』の住吉社の歌合で、「社頭の祝」の題による津守国平の歌に、「君のために、玉出の岸に和らげて示す神の光は、末の末まで千代も曇ることはあるまい」とある。またある説に、干珠・満珠は紀伊国の日前宮に納められている、と言うこともあるが、これもいわれがあるように思われる。日前宮はもと名草の浜の宮においでになり、その昔は玉津島も日前宮の摂社であったので、あの珠が玉津島から出たことを取り違えて、日前宮に納められていると言い伝えたのであろう。

解説

岩橋秀栄の玉津島の考えの続きである。秀栄は、玉津島の「つ」を濁れば「玉出島」になると見て、ここを神功皇后が新羅に渡った時に得た如意珠の出た地だと推す。『日本書紀』には、神功皇后が海中で如意珠を得たことや、紀伊国に立ち寄ったことが記されている。摂津の住吉にも玉出の島があり、干珠・満珠の出た所と伝えるが、それは紀伊の玉出島の話が移ったものだという。さらに、干珠・満珠を日前宮に納めるという伝えも、玉津島がかつて日前宮の摂社であったことから生じた取り違えだと説明する。ばらばらの伝承を一つの筋で結び直す推論である。地名の音から神話の場所を探る方法は、宣長の古事記伝の考証にも通じている。

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