酔古堂剣掃 / 集倩・東郭先生の履
東郭先生之履,一貧從萬古之清;山陰道士之經,片字收千金之重。
新字:東郭先生之履,一貧従万古之清;山陰道士之経,片字収千金之重。
書き下し
東郭先生の履、一貧萬古の清に從ふ。 山陰道士の經、片字千金の重きを收む。
現代語訳
東郭先生の靴は、ひとたびの貧しさによって永遠の清らかさを得ました。山陰の道士の経は、わずかな一字が千金の重みを持つものとなりました。
解説
粗末な靴と一巻の経という、二つの品にまつわる故事を対にした一則です。東郭先生は『史記』滑稽列伝に見える人物で、貧しくて、甲はあっても底のない靴を履いて雪の中を歩き、足跡がそのまま雪に残ったので人々に笑われたと伝えられます。しかしその貧しさは、万古、つまり永遠に語り継がれる清らかさの証となりました。山陰道士の経は、東晋の書聖王羲之の話で、山陰の道士が飼っている鵞鳥を欲しがった王羲之に、道士が経を書いてくれれば鵞鳥を全部差し上げると言い、王羲之は喜んで経を書いたと伝えられます。その経の一字一字は千金の価値を持つことになりました。貧しさが清らかさとなり、一字が千金となるという、世俗の価値とは違う価値のあり方が示されています。本当の価値は、値段や見た目では測れないものなのでしょう。
この章句が説くこと
清貧故事書道王羲之価値
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