呻吟語 / 内篇・應務・所直幾何ぞと曰ふは亂語のみ
有一介必吝者,有千金可輕者,而世之論取與動,曰所直幾何?此亂語耳。
新字:有一介必吝者,有千金可軽者,而世之論取与動,曰所直幾何?此乱語耳。
書き下し
一介にして必ず吝しむ者有り、千金にして輕んず可き者有り。而るに世の取與を論ずるは動もすれば、直る所幾何ぞと曰ふ。此れ亂語のみ。
現代語訳
わずか一つでも必ず惜しむべきものがあり、千金でも軽く扱ってよいものがあります。それなのに世の人は物をやり取りするとき、すぐ、いくらのものだと言います。これは出鱈目な言い方にすぎません。
解説
物の扱いを値段で決める習慣を、出鱈目だと切り捨てます。一つでも惜しむべきものがあり、千金でも軽くてよいものがある。基準は金額ではなく、その物が何であるかです。前に出てきた、朱墨をめぐる節約の議論で、事が重ければ使いすぎも奢りではないと述べた段と同じ考え方になっています。基準は金額ではなく、その物が何であるかなのです。

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本の中身を見るこの章句が説くこと
価値金額基準取与判断
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