呻吟語 / 外篇・廣喻・惟だ光明なる者のみ人をして疑はしめず
瓦礫在道,過者皆弗見也,裹之以紙,人必拾之矣,十襲而櫝之,人必盜之矣。故藏之,人思亡之,掩之,人思檢之;圍之,人思窺之;障之,人思望之,惟光明者不令人疑。故君子置其身於光天化日之下,丑好在我,我無飾也,愛憎在人,我無與也。
新字:瓦礫在道,過者皆弗見也,裹之以紙,人必拾之矣,十襲而櫝之,人必盗之矣。故蔵之,人思亡之,掩之,人思検之;囲之,人思窺之;障之,人思望之,惟光明者不令人疑。故君子置其身於光天化日之下,丑好在我,我無飾也,愛憎在人,我無与也。
書き下し
瓦礫の道に在るは、過ぐる者皆な弗ち見ざるなり。之を裹むに紙を以てすれば、人必ず之を拾はん。十たび襲ねて之を櫝せば、人必ず之を盜まん。故に之を藏さば、人は之を亡はんことを思ひ、之を掩へば、人は之を檢せんことを思ひ、之を圍めば、人は之を窺はんことを思ひ、之を障へば、人は之を望まんことを思ふ。惟だ光明なる者のみ人をして疑はしめず。故に君子は其の身を光天化日の下に置く。丑好は我に在り、我飾る無し。愛憎は人に在り、我與る無し。
現代語訳
瓦や小石が道にあっても、通る者はみな目に留めません。それを紙で包めば、人は必ず拾います。十重に包んで箱に納めれば、人は必ず盗みます。だから隠せば人は奪おうと思い、覆えば人は調べようと思い、囲めば人は覗こうと思い、遮れば人は望もうと思います。ただ光り明るいものだけが人を疑わせません。だから君子は自分の身を光り輝く天と日の下に置きます。醜さも美しさも自分にあり、自分は飾りません。愛されるか憎まれるかは人にあり、自分は関わりません。
解説
隠すことが価値を作ってしまうと示します。道の瓦礫は誰も見ませんが、包めば拾われ、箱に納めれば盗まれます。中身は同じです。そして四つの対応が並べられます。隠せば奪われ、覆えば調べられ、囲めば覗かれ、遮れば望まれる。だから明るいところに身を置く。最後に、醜美は自分に、愛憎は人にと線が引かれています。醜さも美しさも自分に、愛憎は人にと線が引かれます。
この章句が説くこと
隠す価値瓦礫光明線引き
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