酔古堂剣掃 / 集倩・蓮は汙泥より出づ
高士豈盡無染,蓮為君子,亦自出於汙泥;丈夫但論操持,竹作正人,何妨犯以霜雪。
新字:高士豈尽無染,蓮為君子,亦自出於汚泥;丈夫但論操持,竹作正人,何妨犯以霜雪。
書き下し
高士豈に盡く染まること無からんや、蓮は君子為るも、亦た自ら汙泥より出づ。 丈夫は但だ操持を論ず、竹は正人と作るも、何ぞ犯すに霜雪を以てするを妨げん。
現代語訳
気高い人物だからといって、どうしてまったく汚れに染まらずにいられましょう。蓮は君子とされますが、それでも泥の中から生え出てきます。立派な男子はただ節操を守り通すかどうかを問題にします。竹は正しい人とされますが、霜や雪に打たれることを何ら妨げとはしません。
解説
清らかさとは、汚れや困難と無縁であることではない、という一則です。高士は気高い人物、染は世俗の汚れに染まることです。蓮を君子とするのは、北宋の周敦頤「愛蓮説」の、泥より出でて染まらず、という有名な言葉に基づきます。蓮も泥の中から生まれるのだから、立派な人も世の汚れと無縁ではいられない、しかし染まらずに花を咲かせることができる、というのです。後半の操持は節操を守り持ち続けること、正人は正しい人です。竹もまた霜雪に打たれますが、それで節を曲げることはありません。むしろ厳しい寒さの中でこそ、その緑の変わらなさが際立ちます。人も、汚れた環境や厳しい試練の中にいてこそ、その人の本当の清らかさや強さが問われるのでしょう。環境を言い訳にせず、自分の節を守ることの大切さを教えてくれます。

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本の中身を見るこの章句が説くこと
節操修身蓮竹君子
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