酔古堂剣掃 / 集倩・春山は半ば是れ雲なり
間人情何似?曰:野水多於地,春山半是雲。問世事何似?曰:馬上懸壺漿,刀頭分頓肉。
書き下し
人情は何にか似たると問へば、曰く、野水は地よりも多く、春山は半ば是れ雲なり、と。 世事は何にか似たると問へば、曰く、馬上に壺漿を懸け、刀頭に頓肉を分かつ、と。
現代語訳
人の心は何に似ているかと尋ねると、答えて、野の水は陸地よりも多く、春の山は半分が雲だ、と言います。世の中のことは何に似ているかと尋ねると、答えて、馬の上に飲み物の壺をぶら下げ、刀の先で煮込んだ肉を分け合うようなものだ、と言います。
解説
人情と世事を、それぞれ謎かけのような比喩で答えた一則です。冒頭の「間」は、次の句と同じく「問」の書き誤りと見て読みました。人情を問われて、野原には水が陸地よりも多く、春の山は半分が雲に隠れている、と答えます。人の心は、しっかりした地面よりもつかみどころのない水のほうが多く、半分は雲に隠れて見通せない、ということでしょう。後半の世事の答えは、馬上に壺漿、つまり飲み物を入れた壺をぶら下げ、刀頭に頓肉、つまり煮込んだ肉を刀の先で分け合う、という武人の野営の情景です。世の中は落ち着いて食事もできない、慌ただしく危うい場所だ、という含意と読めます。どちらも明確な答えではなく、たとえで返すところに、禅問答にも似た味わいがあります。人の心や世の中は、言葉で割り切れないものだということを、あらためて思わせてくれます。
この章句が説くこと
人情世事比喩問答処世
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