酔古堂剣掃 / 集倩・仙子來たる時雲雨香し
幽人到處煙霞冷,仙子來時雲雨香。
新字:幽人到処煙霞冷,仙子来時雲雨香。
書き下し
幽人到る處煙霞冷やかに、 仙子來たる時雲雨香し。
現代語訳
世を離れた人が行くところでは、もやや霞も冷ややかに澄み、仙女がやってくるときには、雲も雨も香しく匂います。
解説
隠者と仙女という二つの存在が、それぞれ周りの景色を変えてしまうさまを詠んだ一則です。幽人は俗世を離れて静かに暮らす人で、その行く先々では、煙霞、つまりもやや霞までが冷ややかに澄みきっていると言います。人の清らかさが景色にまで移るという見方です。後半の仙子は仙女のことです。雲雨という言葉は、戦国時代の宋玉「高唐の賦」で、楚王が夢の中で巫山の神女に出会った話から、艶やかな出会いを暗示する語ともなりました。ここでは仙女の訪れとともに雲や雨までが香り立つという、華やかで幻想的な情景を描いています。冷やかと香しという対比に、清らかさと艶やかさという二つの美しさが示されています。人の持つ雰囲気が周りの空気を変えるということは、今の私たちの実感としてもよくわかるものです。
この章句が説くこと
隠逸神仙雰囲気幻想艶麗
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