酔古堂剣掃 / 集倩・蜂は薔薇に粘る
花間雨過,蜂粘幾片薔薇;柳下童歸,香散數莖檐卜。
新字:花間雨過,蜂粘幾片薔薇;柳下童帰,香散数茎檐卜。
書き下し
花間に雨過ぎて、蜂は幾片の薔薇に粘り、 柳下に童歸りて、香は數莖の檐卜に散ず。
現代語訳
花の間を雨が過ぎていくと、蜂は幾ひらかの薔薇の花びらにくっついて離れず、柳の下を子どもが帰っていくと、香りは数本のくちなしの花から散り広がります。
解説
雨上がりの庭と夕暮れの帰り道を、細やかな観察で描いた一則です。前半は、雨が過ぎたあと、濡れた薔薇の花びらに蜂がとまって離れない様子です。粘は、べったりとくっつくことで、雨に濡れた花びらに蜂がしがみつく生き生きとした姿が浮かびます。後半の檐卜は、薝蔔とも書き、くちなしの花を指すとされる言葉で、仏典にも香りのよい花として登場します。柳の下を子どもが帰っていくとき、手にした数本の花から香りが広がる、あるいは道ばたの花の香りが漂う情景です。蜂と童、雨と香りという小さな取り合わせに、何気ない日常の中の美しさがとらえられています。大きな景色だけでなく、こうした足元の小さな出来事に目を留めることが、日々の暮らしを味わい深くしてくれます。
この章句が説くこと
花雨観察香日常
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