酔古堂剣掃 / 集倩・窮秀才の生活
窮秀才生活,整日荒年;老山人出遊,一派熟路。
書き下し
窮秀才の生活は、整日荒年。 老山人の出遊は、一派熟路。
現代語訳
貧しい書生の暮らしは、毎日が飢饉の年のようです。年老いた山の隠者の外出は、どこもかしこも歩き慣れた道です。
解説
貧しい書生と老いた隠者の暮らしを、短い言葉で鋭く描いた一則です。秀才は科挙の最初の試験に合格した者、または広く学問をする書生を指します。窮秀才は、まだ出世できず貧しい書生のことです。整日荒年は、毎日がまるで飢饉の年のように苦しい、という誇張で、苦学する者の厳しい暮らしを自嘲を込めて言っています。後半の山人は山に住む隠者、一派熟路はどこへ行っても慣れ親しんだ道ばかり、ということです。長く山に暮らしてきた隠者には、もう新しい道はなく、すべてが熟知した道なのです。これは、何ごとにも慣れきって新鮮味がないとも、あるいは達人の余裕とも読めます。貧しさに苦しむ若さと、すべてに慣れた老い、どちらにもおかしみと哀しみがあります。今の自分はどちらに近いか、考えてみたくなる句です。
この章句が説くこと
清貧隠逸学問老い諧謔
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