酔古堂剣掃 / 集倩・高人を看るは竹を看るが如し
相美人如相花,貴清艷而有若遠若近之思;看高人如看竹,貴瀟灑而有不密不疏之致。
新字:相美人如相花,貴清艶而有若遠若近之思;看高人如看竹,貴瀟灑而有不密不疏之致。
書き下し
美人を相るは花を相るが如く、清艷にして若しくは遠く若しくは近きの思ひ有るを貴ぶ。 高人を看るは竹を看るが如く、瀟灑にして密ならず疏ならざるの致有るを貴ぶ。
現代語訳
美しい人を見るのは花を見るのと同じで、清らかであでやかで、遠いようで近いような、つかみきれない思いを抱かせるところが尊いのです。すぐれた人物を見るのは竹を見るのと同じで、さっぱりとして洒脱で、密すぎず疎すぎない趣があるところが尊いのです。
解説
美人を花に、高人を竹にたとえ、それぞれの美しさの要点を示した一則です。相は、人や物の姿を見てその品格を見定めることです。美人の魅力は、清らかさと艶やかさを兼ね備え、手が届きそうで届かない、近いようで遠いという、つかみきれない奥行きにあると言います。見た目の華やかさだけでなく、品と余韻を重んじる美意識が表れています。高人は徳の高いすぐれた人物です。竹のように、さっぱりとしてあか抜けた瀟灑な趣を持ち、人との距離も近すぎず遠すぎない、ほどよい間合いを保っているところに品格があると言います。人の魅力は、目に見える美しさより、その人が漂わせる余韻や距離感にこそ表れるものなのでしょう。人付き合いの中で、ほどよい距離を保つことの大切さも教えてくれます。
この章句が説くこと
美人竹品格距離感風雅
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