酔古堂剣掃 / 集綺・綠篠清漣に媚ぶ
石上酒花,幾片濕雲凝夜色;松間人語,數聲宿鳥動朝喧。媚字極韻,出以清致,則窈窕但見風神,附以妖嬈,則做作畢露醜態。如芙蓉媚秋水,綠篠媚清漣,方不著跡。
新字:石上酒花,幾片湿雲凝夜色;松間人語,数声宿鳥動朝喧。媚字極韻,出以清致,則窈窕但見風神,附以妖嬈,則做作畢露醜態。如芙蓉媚秋水,緑篠媚清漣,方不著跡。
書き下し
石上の酒花、幾片の濕雲夜色に凝り、 松間の人語、數聲の宿鳥朝喧を動かす。 媚の字は極めて韻あり、出すに清致を以てすれば、則ち窈窕として但だ風神を見、附するに妖嬈を以てすれば、則ち做作して畢く醜態を露はす。 芙蓉の秋水に媚び、綠篠の清漣に媚ぶるが如くにして、方に跡を著けず。
現代語訳
石の上で酒を酌めば、何片かの湿った雲が夜の色の中に凝り固まり、松の間で人が語り合えば、ねぐらの鳥が何声か鳴いて朝のざわめきを起こします。「媚」という字はきわめて風韻のある字です。清らかな趣をもって表せば、たおやかでただ風格だけが見えますが、なまめかしさを添えると、わざとらしく醜い姿がすっかり現れてしまいます。蓮の花が秋の水に媚び、緑の篠竹が清らかなさざ波に媚びるようであってこそ、ようやく作為の跡が残らないのです。
解説
前半の情景描写に続いて、媚という字の品位について論じた一則です。媚は、今日では媚びへつらうという悪い意味で使われがちですが、本来は美しく心をひきつけることを言います。著者は、この字はきわめて風韻があると言い、清らかな趣で表せば気品が出るが、妖艶さを添えるとわざとらしい醜さが出ると区別します。手本として挙げるのは、蓮が秋の水に映え、緑の篠竹が清らかな波に映える姿で、後者は南朝の謝霊運の詩句として知られます。自然に美しく、作為の跡がないことこそ、真の媚だというのです。人に好かれようとする態度も、作為が見えれば卑しくなり、自然であれば魅力となります。
この章句が説くこと
品格自然美風雅作為
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